以前、知人に言われたことがありました。
「要らんプライド高すぎる」
・・・少し言葉は違いますが、意味合いとしてはこのような意味でした。
確かに意固地であったり、
付き合いが悪い時だったり、
仕事がどうした・・・そんな時も。
でも、それは自分を保つことさえも、
儘ならなくて、
言わば「生命維持装置」の装着状態とも言えたのかも知れません。
生命維持装置は、表現が極端すぎますが・・・。
とにかく、必死だったと言えたのだと思います。
それが、相手にはプライドが高すぎると
映ったのかもしれません。
今は、多少疑問に思うこともある「活動」
これだって「こうだ」と信じていたことでの活動ですから、
これを否定されたように感じた時などは、
気色ばんで、必死で、
その考え方を守ってきた「プライド」だったのかもしれません。
断っても、ずかずかと(薄い)境界内に入り込んで
否が言えなくなるようにしてくる人の理不尽さ、
なかなか解っては貰えないので、
今も・・・結構大変です。
プライド・・・そんなに高く感じなかったから、
相手に不快な思いをさせたこともあったかも。