新羅三郎に因って、兄・賀茂次郎の系統は、滅亡した様に思えた。しかしそうではなかった。
賀茂次郎義綱の末子は、京から遠い近江源氏・佐々木の領内、近江・朽木谷(くちきだに)に連れていかれた。末子の存在は伏せられていた。それは、白拍子(しらびょうし)との間にもうけた為、正当な子とは認められなかったのである。
近江には十郎という、元義綱の郎党がおり、秘かに十郎の元に遣わしたのだった。
「十郎どの、義綱様をご心配下さるなら、この子を育てて頂きたい。」
「藤十(とうじゅう)どの、義綱様は、何故この老い耄れ(おいぼれ)に頼まれるのか?」
「義綱様の生きた証の和子(わこ)でござる故に、お頼みしたい。残念ながら正当な子と認められぬ身の上の和子でござる。」
「なるほど。しかし義忠様殺害を煽動(せんどう)したのは、義綱様と伺って居る。」
「あれは舎弟義光どのの策動でござる。あの御仁に唆され、義親どのの嫡子為義どのは、義光どのに従うばかり。」
「越後には、平師訓(たいらのもろくに)どのがあり、彼の方が殿に年も近いであろう。」
「北陸の者共は、宗家に従いまする。宗家が義綱様の追討を指示すれば、師訓どのの下にも行けませぬ。故に、京近くで信用のおけるは、十郎どのだけです。」
「…………」
十郎は黙して語らず、一刻が過ぎた。
「承知した。命を賭して、和子を護ろう。」
*十郎…架空の人物で義綱の元郎党・若狭十郎橘綱満(わかさのじゅうろう・たちばなのつなみち)が本名*
*平師訓…架空の人物で義綱の元郎党*
*藤十…架空の人物で義綱の郎党・淺田藤十郎藤原朗偉(あさだとうじゅうろう・ふじわらのあきひでが本名*