23-12-15

呉の胡町公園(朝日町3)の一角に「奉安庫」と記した石碑(下)が建っています。戦前この地にそうした建造物があったものと思われます。今回はこの「奉安殿(庫)」に焦点を当てます。

「奉安殿(庫)」というのは、戦前の日本において天皇皇后両陛下の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物のことです。

 

「御真影」と「教育勅語」は天皇が神格化され、軍国主義に染まった1890年(明治23年)以降に宮内省から全国の学校などに貸与されました。

祝賀式典の際には職員生徒全員で御真影に最敬礼を奉じ、教育直後を奉読すること。登下校時や単に前を通る際にも、服装を正してから最敬礼するよう定められました。

 

御真影や教育勅語は学校長の責任において厳重な取り扱いが求められました。ある町では失火により御真影を焼いてしまい、校長が責任を負って割腹自殺したり、御真影を持ち出そうとして焼死するといった事件がおきました。

 

厳重な管理を行うために、教職員が当番制で警護するようになり、これが発端で職員の宿直制度が定着、戦後しばらくまで続きました。

当初は講堂や職員室内部に置かれていましたが、大正時代になると金庫型に改められ、また1935年(昭和10年)以降には独立した「奉安殿(庫)」の建設が進められました。

標準的な構造としては金庫式二重扉を設け、耐火耐震構造とし、内部防熱防湿のために石綿材を施し、内部は更に桐またはヒノキ板張りとし、御真影を奉安する棚の高さは50センチ程とされました。

奉安殿(庫)を造るには多額のお金が必要ですが、国から支給されることはなく、各学校で調達せざるを得ず、校長が中心になって地域の人たちからお金を集めました。

 

日本が戦争に敗れた1945年(昭和20年)になると、GHQの神道指令により奉安殿(庫)の廃止が決定、すべて撤去するよう指示されました。

 

その為、今ではほとんど見ることはありませんが、それでも2020年末時点の調査では全国に755カ所ほど残っており、地域の共同施設として利用されたり、歴史遺産として保存されたりしているとのことです。

上写真は、呉五番町小学校に設けられていた奉安殿です。今残っていれば立派な歴史遺産になることでしょう。

 

呉胡町公園の奉安庫も残っていませんが、碑文によると、呉市出身の衆議院議員宮原幸三郎氏が有志から義援金を募り、昭和6年に奉安庫を建設したとあります。この公園の一部に宮原氏の自宅があったそうです。

 

 次回は12月18日「加藤友三郎初代銅像」です。