23-11-30

「桐の木古墳」

音戸町波多見小学校北側に高さ130m程の「桐の木山」があります。1953年(昭和28年)にこの山の中程から弥生時代(約1700年前)のものと思われる組合せ式の箱型石棺が出土し、広島大学の先生などにより発掘されました。

石棺の中では、人骨が頭を東に向け、足を西に伸ばしていたと推定され、年齢は50才程度で男の人だろうということでした。

 

また、そこから30mほど南にさがった所に、女姓の人骨を納めた石棺が掘り出されました。こうした古墳はその頃勢力を持っていた人のお墓と言われています。

 

他にも黒く炭になった米つぶも発見されており、米作で生活していたことなど、暮らしの様子を想像することが出来ます。

 

「古観音山と梵潮寺」

音戸町の主峰をなす古観音山(ふるかんのんざん)は頂上からの眺めが良く、北側に呉の工場地域・江田島・広島方面、南側に音戸湾内、そして天気の良い日には遠く四国の連山が展望でき、とても雄大な眺めです。

その古観音山には今から1200年前、奈良時代の僧行基が全国を修行して回った時に立ち寄られ、11面観音像を刻んで子供が通れるくらいの大きさの岩穴に安置しておられた言われています。

370年ほど前のある夜、古観音山に山火事が発生しました。11面観音様は火事から逃れるため、現在の梵潮寺に位置に飛び降りました。僧宗誓(そうせい)が行ってみると、観音様の左腕が折れており、もったいないことだと梵潮寺を建てたそうです。

この梵潮寺は南隠渡の町立病院の丘にあって、僧行基の作と言われる11面観音像が祀られており、33年に一度ご開帳されます。地元の人たちは、梵潮寺を「観音様」と呼んで親しんでいます。

梵潮寺の裏手には19基の五輪塔がきれいに並んで建っています。この地方は平安時代の終わり頃、平家の一族がこの地に逃れてきて隠れ住んだと言われていることから、そうした人たちの墓ではないかと言われています。

 

 次回は12月3日「安徳天皇瀬戸内伝説」です。