23-11-27

去る4月4日付けの私のブログ「長浜公園と戦争花嫁」を記憶しておられるでしょうか?最初の豪州戦争花嫁となった桜元信子さんに関わる話でしたが、最近になってその話に後日談が生まれましたので、今回はそれを紹介しようと思います。

後日談の前に、前回の私のブログの概要を記してみます。尚、ブログ全文は「記事一覧」の中で「月別」(2023年4月)を指定すると見ることが出来ます。

概要:終戦後呉市広町の進駐軍施設に赴任していたオーストラリア兵のゴードン・パーカーさん(当時18才)はハウスキーパーをしていた桜元信子さん(当時18才)と恋仲になり呉市内の教会で結婚式をあげます。

しかし、当時のオーストラリアは「白豪主義」の国。有色人種は入国できませんでした。信子さんは任期あけで帰国する青年の船を長浜の海岸から一人見送りました。

4年後にようやく日本人妻の入国許可がおります。信子さんは650人とも言われる戦争花嫁の第一号としてオーストラリアに渡りました。

オーストラリアでの信子さんは、名字の「桜元」から「チェリー・パーカー」と呼ばれ、8人の子沢山となって、幸せな日々を過ごしました。

二人が知り合い、愛を育んだ長浜第一公園には、今年3月、地元有志の手で一脚の木製ベンチが設置され、「二人の恋はオーストラリアに架けた虹だ」として、このベンチに「恋虹ベンチ」という名前が付けられました。

ベンチは7,000キロ先のオーストラリア大陸に向かって設置されています。そこに座ると目の前に静かな瀬戸の海が広がっています。

以上が前回のブログ概要です。この話の後日談というのは、先月のこと信子さん夫妻の息子に当たるロバート・パーカーさん(68才)が「恋虹ベンチ」に会いに、夫人を伴って来日されたのです(上)。このことはテレビでも紹介されるほど話題を呼びました。

ゴードン・パーカー氏は2010年に亡くなりましたが、信子さんは94才でまだお元気で、76人に及ぶと言われるファミリーに囲まれて幸せに過ごしておられるとのこと。

上の画像は「恋虹ベンチ」に座って70年以上前のご両親の愛の物語に思いを巡らせている様子のロバート・パーカーさん夫妻です。

 

 次回は11月30日「音戸町の古墳と伝説」です。