23-11-15

先日11日に終ってしまいましたが、呉市立美術館で開催された「明和電機ナンセンスファクトリー展」は中国新聞が「天風録」で取り上げたほどで、かなりの評判を呼んだようです。私は結局観に行きませんでしたが、今思えば残念なことでした。

「明和電機」は「オタマトーン」という名前のおもちゃの電子楽器(下)を作って売り出したところ、14年間で200万個が売れたとのことで、楽器工場か何かを連想しますが、30年前から活動を続けている、れっきとした「芸術ユニット」です。

「オタマトーン」は音符にもオタマジャクシにも見える形の楽器で、尻尾のど部分をどこか押さえると音が出て、口を開いてパクパクさせると人の声のように音色が変わります。

「オタマトーン」の他にも魚の形を模した延長コード、指を鳴らすと木魚が響く楽器、ぐりぐり回す腕時計、世界最小の低音ギター(上)など数々のアイディア楽器が見られます。

一番興味を引いたのは「社長」を務める土佐信道氏(上)が割若い頃呉で育ったということです。生まれたのは兵庫県赤穂市ですが、12歳の時一家で呉市西惣付町に転居。片山中学校でブラスバンド部に入り、海自呉音楽隊の人に教わってティンパニを習得したそうです。

 

高校は三津田でフオークソング部に所属、兄とバンドを組んでコンピュータミュージックの打ち込みを行ったとのこと。筑波大学に進んで本格的に芸術を始めました。

 

高校時代から兄弟でバンド活動を行い、当時は画期的だったパソコンの自動演奏を駆使。新聞に取り上げられ「テクノ兄弟」と呼ばれたそうです。これが明和電機の原点となりました。

1993年に2才上の兄(正道)と共に「明和電機」を結成。これは父親が営んだ電気部品会社の名前でした。2001年兄に代わって「社長」に就任。今回活動30周年にあたり、原点の呉でライブを開きたいと思っていたそうです。

 

尚、父(阪一)は神戸の新明和工業で飛行艇の尾翼の設計に携わっていたこともある、本格的な工業技術者だったそうです。

「明和電機」の活動は中小企業風のスタイルに徹しており、青色の作業着をまとい、社長、副社長、経理、工員(アシスタントに相当)と互いを呼び合っています。作品は「製品」と呼び、ライブは「製品デモンストレーション」、制作は「製品開発」、展覧会は「新製品発表展示会」と呼ぶ徹底ぶりだそうです。

製鉄所の歴史が幕を下ろし、沈滞ムードの呉の街に”音痴な楽器”「オタマトーン」が響き渡ると街が少しは明るくなるかも知れませんね。

 

 次回は11月18日「地元のプロゴルファ」です。