23-11-12

コロナや猛暑でしばらく帰れなかった古里江田島に、先月久しぶりに帰ってきました。ご先祖の墓参りが主な用事でしたが、もう一つ、前から気になっていた場所に行きました。「浜田省吾ON THE ROAD 江田島」です。

ロック歌手の「浜省」こと浜田省吾は生まれは竹原の片田舎ですが、少年時代を江田島で過ごしており、その頃の写真や新聞、雑誌の切り抜きなどを集めたファン交流の場が、浜省も通った「鷲部(ワシベ)小学校」の跡地に建つ「江田島図書館」の一角に設けられています。

浜省はライブをメインに活動しているため、テレビに出ることもなく、私もほとんど彼の歌を聞いたことがありません。興味を持ったのは、彼が江田島でどんな生活を送っていたか、ということです。

浜省は昭和27年(1952年)12月生まれで、現在70歳になりますが、小学校4年から中学1年まで江田島で過ごしています。警察官だった父親の転勤で江田島署(上)にやってきました。その当時父親は剣道をやっていて、浜省も署の道場で厳しく鍛えられたそうです。

 

江田島に来た頃からギターを習い始め、学校でホウキをギター代わりに演奏のマネをしたり、ビートルズの記事を切り抜いてノートに張り付けていたとか。

13歳の時に呉の汐見町に転居し、二河中学校に通いました。1968年に三津田高校に入学、受験勉強に励む一方、誘われて野球部に入部、偉大なる先輩「広岡達郎」(上)の三津田高校時代と同じサードを守りました。

ただ、野球は3年の時にやめ、以後はフオークソング部や新聞部に所属したほか、生徒会役員にもなりました。学生運動にも積極的に参加、当時盛んだった広町黄幡弾薬庫の弾薬移送反対デモにも参加しました。

1972年に一浪して神奈川大学に入学、徐々に音楽仲間が増えてバンド活動に集中していきます。翌年大学を中退して広島に戻り、吉田拓郎ら「広島フオーク村」の仲間に入ってロックバンドの活動を始めます。

鷲部にある「ON THE ROAD 江田島」で最大の見ものは、古いバス停のベンチです。浜省がプロデビュー後に江田島を訪れ「山田バス停」のベンチに腰掛けて江田島での少年時代を回想している時に、学校帰りの男の子たちを見て「あのくらいだったんだろうね・・・・・時間って不思議だね」と語ったと言われています(上)。

そのベンチは保存され、今「ON THE ROAD 江田島」の一角に置かれています。それ以来「山田バス停」は浜省ファンが江田島に来たら必ず訪れる場所になり、浜省と同じポーズで写真におさまっていくそうです。

私も前例に倣って写真におさまりました。浜省トレードマークのサングラスはベンチの上に”ご自由にお使いください”と書いて置いてあります。

尚、「ON THE ROAD」というのは、ファンの方は良くご存知でしょうが、1982年に浜省が発売して、初のトップテン入りをしたライブアルバムのタイトルです。以後、彼はコンサートツアーのタイトルを「ON THE ROAD」としているのだそうです。

最後に浜省のメッセ―ジと言われる一文を紹介します。

「今、振り返ってみて、9歳から13歳までの子ども時代を海もあり、山もある江田島で過ごせたのは幸運なことでした。父と登った古鷹山、友達と泳いだ海、足を切ったカキのイカダ。たくさんの思い出があります。そしてそのサウンドトラックとして聞こえてくるのがビートルズなのです。」

 

 次回は11月15日「明和電機は呉育ち」です。