23-11-05

「光明寺」(こうみょうじ)は門柱から三門までの参道が長く、境内には立派な枯山水の庭がある浄土真宗のお寺です。

ここには呉市の有形文化財「木造親鸞聖人座像」(下)があります。江戸時代中期に親鸞さんが自ら彫られたものとか。座高26cm、台座高12cm。宝暦12年(1762年)に京都の公家鷲尾大納言より賜ったもので、その時の寄付状なども残されています。

また、県重文の「絹本著色親鸞聖人絵伝」(上)もあります。親鸞さんにまつわる縁起説話を描いたもので、寛文3年(1663年)に東本願寺から光明寺へ贈られたものです。

変わったところでは「鉄屋久蔵の墓」(上)が境内にあります。久蔵は川尻生まれの船乗りです。文化7年(1810年)乗っていた船が大嵐のため漂流、75日目にカムチャツカ半島に漂着。3年後に日本に送還されますが、その際種痘(天然痘)の種をガラス器に入れて持ち帰り、広島藩にその効果を進言しますが、信じてもらえず種痘法が広まることはありませんでした。尚、墓は地元川尻小PTAの方々によって平成20年に建てられました。

最近では、こうの史代さんの漫画「この世界の片隅に」に光明寺をモデルに描かれたお寺の絵が出てきます。光明寺はこうのさんの菩提寺だとのこと。残念ながら映画にはこの場面は出て来ていません。

 次回は最後で、明日6日「真福寺」です。