23-02-12

今年2023年は加藤友三郎(ともさぶろう)翁の死から100年の節目の年に当たります。呉市に於いてもいくつかの記念行事が行われるものと思います。

昨年12月上旬には、加藤翁の首相就任100周年とワシントン会議開催を記念する式典が入船山記念館で営まれました。そこには、岸田首相も祝電を寄せておられます。

 

加藤翁は1861年(文久元年)広島城下の大手町生まれ。やがて兄と上京して海軍兵学寮(築地)に入ります。海軍では砲術畑を進み、軍艦「吉野」の砲術長として日清戦争に参戦します。

(中央:東郷司令長官 左:加藤参謀長 右:秋山真之参謀)

 

その後、日露戦争(1905年)では、東郷平八郎司令長官のもとで連合艦隊参謀長を務め、日本軍勝利に大きく貢献します(上)。

 

1909年(明治42年)12月から4年間、呉海軍鎮守府の第8代司令長官を務めます。入船山記念館に歴代長官として写真が掲げられています。

日露戦争後は政治家に転身します。1921年(大正10年)ワシントンで開催された軍縮会議(上)に全権大使として出席。そこで「主力艦は対英米比で6割」という軍縮条約案に、全権団が反対するなか「国防は軍人の専有物にあらず」という名言を吐いて、きっちりとまとめ上げました。翁が現在市民に慕われているのは、この時の功績によるものと思われます。

 

1922年(大正11年)6月、翁は第51代総理大臣に選ばれ、広島県出身の最初の総理大臣となります。ところが、彼はもともと病弱で身体も細く「ローソク」というあだ名で呼ばれていたせいもあって、翌年8月には首相在職のまま大腸ガンで病死してしまいます。62才の若さでした。

今、サッカースタジアムを建設中の広島市中央公園の一角に、翁の銅像が建っています(上)。元々昭和10年に比治山公園に建てられるも、戦時中の金属供出で失われていましたが、2008年(平成20年)に場所を変えて建立されたものです。現在、比治山には銅像の台座のみ残されています(下)。

2020年12月、入船山記念館の前庭に、長官時代の正装「大礼服」姿の銅像が建てられました(上)。台座込みで3m以上あります。

 

今、我国では向こう5年間の防衛費をこれまでの1.5倍の43兆円に増やすと共に防衛増税を打ち出しています。もし今、翁が存命なら、この事態にどんな意見を聞かせてくれるでしょうか。

広島市大手町第2公園の一角にある生誕地の記念碑