平成28年12月23日(月)
 
下蒲刈三之瀬の高台に「弘願寺(ぐがんじ)」というお寺がある(下)。
 
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壇ノ浦から落ち延びた平家の武将が建立したと言われる寺で、江戸時代には
朝鮮通信使の一行の宿泊所にもなったという由緒あるお寺である。
 
きょうはこの寺を実家とする「永野六兄弟」の話をしよう。
 
本当は七人兄弟だったが、三男の永野知周は大学生の時に病没した。
 
残る六兄弟は以下の通り戦後の日本実業界を代表する人材となった。
 
長男 永野   (まもる) 運輸大臣 衆議院議員 参議院議員
次男 永野 重雄(しげお) 新日鉄初代会長 日本商工会議所会頭
四男 永野 俊雄(としお) 五洋建設会長
五男 伍堂 輝雄(てるお) 日本航空会長
六男 永野 鎮雄(ちんゆう)浄土真宗本願寺派正局長 参議院議員
七男 永野 治 (おさむ) 石川島播磨重工副社長
 
更に、長男護の息子たちも大きな働きをした。
  長男 永野 厳雄(いづお) 広島県知事 参議院議員
  次男 永野 健 (たけし) 三菱マテリアル会長 日経連会長
  三男 永野 正 (ただし) 東洋パルプ副社長
 
兄弟の父親法城が寺を継ぐことを嫌い、裁判官となって中国地方の裁判所を
転々としたので子ども達の出生地はそれぞれ異なった。
 
即ち長男護は濱田市、次男重雄は松江市、四男俊雄は岩国市、五男輝雄は
山口市、六男鎮雄と七男治は広島市で生まれた。
 
六男と七男の時は法城が判事を辞めて広島市で弁護士を開業していた明治
時代終り頃生まれた。
 
法城が大正元年に46歳の若さで病死したため、永野一家の家計は大学を
出たばかりの長男護の肩にかかってきた。
 
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幸い、護の親友に渋沢栄一の息子がいて、息子の勉強相手という名目で月々
渋沢家から謝礼を戴き、それが郷里への仕送りとなった。お陰で次男重雄
以下兄弟すべて大学を出ることができた。
 
その大学は六男鎮雄が東北帝国大学と龍谷大学で、あとの兄弟5人はすべて
東京帝国大学である。
 
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           永野護氏レリーフ(永野記念館)

戦後の昭和25年に東洋パルプが広町に設立された時、長男永野護と重雄が
兄弟で取締役に就任した。因みに会長は出所したばかりの岸信介、会長足立
正で、藤山愛一郎も取締役に就いた。
 
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       永野護氏運輸大臣就任のお祝い会(永野記念館)

その後長男護は衆院議員を2期務めたあと参院議員に代わり、この時第二次
岸内閣の運輸大臣となった。昭和45年79才で亡くなった。
 
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              第二次岸内閣

次男重雄(下)は戦後日本を代表する「財界四天王」の一人で「戦後の財界
ドン」とも言われた。
 
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重雄が八幡製鉄と富士製鉄との合併を実現させて新日本製鉄をつくり会長に
就任したのは昭和45年だった。
 
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          永野重雄・せつ夫妻(永野記念館)

重雄は生涯明治の気質を貫き通し、柔道・囲碁などの段位を合せると64段
となるのが自慢だった。昭和59年83才で死去。
 
四男俊雄は五洋建設会長としてスエズ運河の改修工事などの事業に携わっ
た。五洋建設は呉で創設された「水野組」が前身のゼネコンの一つ。海軍
基地の工事で培った土木技術を得意とする会社。
 
五男輝雄(下)は海軍中将だった伍堂卓雄に養子入りし伍堂輝雄となった。
日本鋼管から日本航空に移り会長まで務めたが平成5年87才で死去した。
 
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六男鎮雄は兄弟の中で唯一僧籍に身を置き、弘願寺の第13世に就いた。
昭和32年に全日本仏教会の代表として当時国交のなかった中国を訪問して
いる。昭和57年に74才で死去。
 
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          永野鎮雄氏(永野記念館)

七男治は兄弟のなかで唯一技術畑に進み、国産初のジェットエンジンを
開発、プロペラのない飛行機を日本の空に始めて飛ばせることに成功した。

大学を出て横須賀の海軍航空廠に入る時の面接官はあの山本五十六中将一人
だった。海軍工廠でゼロ戦や月光などの戦闘機のエンジン改良を手掛けて
いる。平成10年87才で死去。
 
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           永野厳雄氏(永野記念館) 

長男護の長男永野厳雄(上)は本業の弁護士から44才の若さで広島県知事
転身、昭和49年から参院議員を務めたが2期目に入ってすぐ63才で
死去した。体のがっしりした背の高い人だったのを私も覚えている。
 
瀬戸内の交通にも不便な小さな島から、日本の実業界を代表するような
人材を輩出したことは驚きであり、栄誉なことである。
 
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兄弟ゆかりの品々を収蔵展示した「永野記念館」(上)が境内の一角に
あり、先日見学させて戴いた。お願いすればいつでも見学させて戴ける。