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  平成28年9月7日(水)
  
マジック2(7日現在)。
我が広島カープ25年ぶりのリーグ優勝が明日にも実現する運びとなった。

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今回は、「セリーグのお荷物球団」とまで言われた広島カープが、初優勝に
輝いた昭和50年の思い出を語ってみよう。

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ここに一枚のレコードがある。私の愛蔵品でカープ初優勝を記念して発売
されたものである。
 
中国放送の上野隆紘アナウンサーによる優勝場面の実況放送や、この年誕生した「それ行けカープ」「ぼくらのカープ」「勝て勝てカープ」などの応援歌が収録されている。
 
レコードジャケットは全面真っ赤。この年生まれた「カープ坊や」の帽子も
真っ赤。「赤ヘル軍団」という言葉もこの年に誕生した。
 
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赤いカープ帽子を被った男の子が町中にあふれた。
 
赤は「燃える闘争心、戦う集団の色」としてルーツ監督が採用したものだ。
 
初優勝が決まった昭和50年10月15日、カープは後楽園球場で巨人と対戦
した。デーゲームだった。
 
私は会社の仕事で茨城県の鹿島に出張していた。夕方、事務所に戻るとカー
プが初優勝した話で盛り上がっていた。事務所には呉から来た人が多かった
のでカープの話に花が咲いた。
 
ただ、喜びはしたが、それ以上のことは何もなく、私は夕方事務所を後に
して呉に戻ってきた。
 
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新幹線で夜遅く広島駅まで帰ってくると、駅のホームに大勢の人たちが
群がっていた。凱旋してくる赤ヘル軍団を出迎える人たちだった。
 
その群衆を見て、広島の町が異様な事態に陥っていることを知った。
 
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セリーグはそれまで巨人の独走が続いていた。川上哲治監督、長嶋、王選手
で9年連続優勝、いわゆるV9時代である。
 
昭和49年、巨人に陰りが見えはじめ、僅か1厘差ではあるが中日に優勝を
さらわれV10を逃した
 
そして川上監督、長嶋茂雄選手が引退し、長嶋はそのまま監督に就任した。
 
カープは昭和47年から3年連続最下位。何とかせねばと、球団はプロ野球
初の外国人監督ジョー・ルーツに再建を託した。
 
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ルーツ新監督による球団改革については、次回に述べるが、彼が選手たちに
植付けた「意識改革」によってカープは戦う球団へと変貌していった。
 
7月19日、甲子園でのオールスター第一戦で山本浩二、衣笠が2打席連続
ホームラン。マスコミなどにより「赤ヘル軍団」の愛称が誕生した。
 
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その後は中日、阪神などと激しい首位争いを繰り広げながら、10月10日
初マジック3の点灯にこぎつける。しかし残り試合はわずか4だった。
 
残り2試合となった運命の10月15日、後楽園球場。対巨人戦。1-0で
迎えた9回表、3番ホプキンスの3ランが出て勝利=優勝を決めた。
 
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球場を真っ赤に染めたカープの大応援団はしゃもじを打ち鳴らし大歓声。
スタンドのいたるところで泳ぐ鯉のぼりが、秋の夕暮れに一層映えた。
 
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泣きじゃくる山本浩二、大下剛の目は真っ赤。古葉監督は「本当に優勝した
んですね」。と一言、静かに喜びをかみしめた。

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10月20日、平和大通りで優勝パレード。沿道にファン30万人。これが
後に「広島フラワーフェスティバル」を誕生させた。
 
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10月22日選手たちは家族らと初Vのハワイ旅行に出発。29日帰国。
 
私個人にとっても、昭和50年は思い出深い年となった。
 
優勝パレードの時、家内が第2子(女児)を出産したばかりだった。
 
私は長男に赤ヘル帽子を被らせてパレードを見に行った。沿道は人垣で溢れ
た。私は子供を抱きかかえてカープの選手を見せてやった。
 
その長男も今では40才を越える年代になり、私以上のカープキチになって
いる。
 
生まれた女児には、広島カープ優勝にあやかって「ひろみ」と命名した。
彼女も既に40才に達し、二人の子供の母親になった。東京に住んでいるが
やはりカープ女子である。
 
あの年の感動と興奮が、最後に優勝した平成3年以降、25年ぶりに現実のものとなろうとしている。
 
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どのような形で優勝をお祝いするか、今から計画を練っておかねばなるま
い。とりあえずは優勝記念アルバムに優勝パレード、優勝記念セールか。
忙しくなりそうだ。
 
≪資料編
  1. 昭和50年のチーム成績表
     優勝 広島カープ     72勝47敗11分
     2位 中日ドラゴンズ   69勝53敗8分
     3位 阪神タイガース   68勝55敗7分
     4位 ヤクルトスワローズ 57勝64敗9分
     5位 大洋ホエールズ   51勝69敗10分
     6位 読売ジャイアンツ  47勝76敗7分
 
  1. 広島カープ昭和50年基本オーダー
1番 大下剛史(2塁手) 盗塁王44、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ
2番 三村敏之(遊撃手) ベストナイン (平成21年死去。61才) 
3番 ホプキンス(1塁手)
4番 山本浩二(センター)首位打者.319、シーズンMVP、ベストナイン、
ダイヤモンドグラブ
5番 衣笠祥雄(三塁手) ベストナイン
6番 シェーン(ライト)
7番 水谷実雄(レフト)
8番 水沼四郎(捕手)
9番 外木場義郎(投手) 最多勝20勝 沢村賞 ベストナイン
 
  1. 昭和50年広島カープ投手成績
   外木場義郎 20勝13敗0S 防御率2.95
   佐伯和司  15勝10敗0S  〃 2.90
   池谷公二  18勝11敗1S  〃 0.32
   宮本幸信  10勝2敗10S  〃 1.70
 
  1. 昭和50年広島カープ打撃成績
   ホプキンス 打率.256 本塁打33 打点91 盗塁1
   衣笠祥雄   .276  〃 21   71  〃18
   山本浩二   .319  〃 30  84  〃24
   大下剛史   .270  〃  3  19  〃44
   三村敏之   .281  〃 10  42   〃 3
   シェーン   .281  〃 13  56  〃 1
   水谷実雄   .208  〃 13  〃37  〃 5