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大和は当時の日本における最新技術を集積したものだという。

球状艦首もその一つで、大和が初めて採用して、スピードアップを図った。

戦後、この構造がタンカーなどに採用されるようになったのは、
大和の成功があったからなのだ、という。

そう聞くと、確かに大和の球状艦首はすばらしい思う。

大和は、安定性を重視した結果、艦の全長が短く、横幅が広くなった。
その結果、高速で走るとか、身軽な運動が苦手になった。

船が水の抵抗を最も大きく受けるのは、艦首の水線の下の部分である。
そこで、東京目黒にあった海軍技術研究所がいろいろと研究を重ねて、
球状艦首を採用することにした。

これにより水の抵抗を8%減らし、スピードアップすることが出来た。
これは、確かにすばらしい。

だが、ここで大和にケチをつける訳ではないが、
次のような事実が判って、すこしがっかりした。

球状艦首を初めて開発したのは、ドイツであり、
昭和初期には既に実用化されていた。
日本でも大和より前に、商船などには採用されていた、という。

球状艦首は、軍艦では大和が初めて採用したのかも知れないが、
日本の開発品ではなく、既に実績もあったという。
何も目新しい技術ではなかったのだ。

ではいったい、
大和の球状艦首のどの部分がすばらしい先端技術なのか?

意地悪くも、
このような質問を大和ミュージアムにぶつけてみた。

以下学芸員の答え。

松本喜太郎著「戦艦大和・設計と建造」の記述に、
「徹底的な多くの研究の結果、本艦設備の球状艦首は、
当時、世界各国いずれの水槽でも予期しないような特別に巨大な球とされた。
その結果27ノットにおける有効馬力の減少は8%以上にもなった」
とある。

従って、大和の持つすばらしい技術とは、
突出部が3mもあるという特別に巨大な球であることと、
それに伴う造波抵抗低減効果8%という数値のことと言える。

その説明で納得、了解しました。

海軍技術研究所では、所内の試験水槽を使い、
パラフィンで作った6.5m横型50種余りを比較研究した。

その結果をもとに大和の最終構造を決めた。
設計から見ると船体の重量約80トン、排水量にして約300トン節約できた。

大和の球状艦首は、鋳物製のように見えるが、鋳物ではない。
何枚かの曲げた鋼板をつなげて仕上げていったもの。

現場責任者の西島亮二技術大佐はこれを「ブロック建造法」で造った。

球状の形を作るには25mm厚のDS材の鋼板をバーナであぶって
ハンマーで叩いて曲げて、そのあと40mmの鋲で固定した。
取り付けに2日要した。

そこまで聞くと、大和の技術のすばらしさがよく分かりました。
恐れ入りました。