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遊遊のブログ

思い出の曲を、思い出と共に、気ままにアップしたブログです。


ウェディングベル

作詞・作曲:古田喜昭

ウエディング・ベル からかわないでよ
ウエディング・ベル 本気だったのよ
ウエディング・ベル ウエディング・ベル

オルガンの音が静かに流れて「始まる 始まる」
お嫁さんが私の横を過ぎる「ドレスがきれい」
この人ねあなたの愛した人は「初めて見たわ」
私の方がちょっときれいみたい
「ずっとずっと きれいみたい」
そうよあなたと腕を組んで祭壇に
上がる夢を見ていた私を
なぜなの教会のいちばん後の席に
ひとりぼっちで座らせておいて
二人の幸せ見せるなんて
ひと言 言ってもいいかな くたばっちまえ アーメン

愛の誓いは耳をふさいでるの
指輪の交換は瞳をとじてるの
神父さんのやわらかな通る声が
遠くに聞こえて ふらつきそうだわ
そうよ あなたから指輪を受ける日を
鏡に向い夢見ていたわ
素顔の自分に言ったの 幸せよって
お化粧する娘はきらいだなんて
あの優しい瞳はなんだったの
もいちど言ってもいいかな くたばっちまえ アーメン

祝福の拍手の輪につつまれて「私はしないの」
どんどん あなたが近づいてくるわ「私はここよ」
お嫁さんの瞳に喜びの涙「きれいな涙」
悲しい涙にならなきゃいいけど
「そうねならなきゃいいけど」
そうよもうすぐあなたは私を見つけ
無邪気に微笑んでみせるでしょう
そしたら こんなふうに言うのよ お久しぶりね
おめでとう とても素敵な人ね
どうもありがとう招待状を
私のお祝いの言葉よ くたばっちまえ アーメン


➡️三人組女性コーラスグループ「sugar」のデビューシングルで、1981(昭和56)年11月21日にリリースされました。
B面曲は「新鮮微笑女新郎新婦」

「sugar」は、デビュー当初は楽器を演奏しながら歌っていましたが、活動後期には得意分野であるコーラスに特化して楽器を持たずに歌うこともありました。

この曲は、新郎新婦への怒りを込めた「くたばっちまえ! アーメン」に代表される皮肉たっぷりの歌詞と、3人の美しくかわいらしいコーラスのギャップが受けて、レコードが約70万枚を売り上げる大ヒット。
この曲で1982(昭和57)年の『第33回NHK紅白歌合戦』に出場しましたが、これが最初で最後の『紅白歌合戦』出場でした。

歌詞の内容から、日本のキリスト教関係者の一部からは「キリスト教への冒涜」との批判もあったようで、旧外国人居留地がありキリスト教関係者の比率も多いと思われる地域のNHK神戸放送局で一時期、自主規制により歌詞の一部をフェードアウトしていたことがあったそうです(関ラジではそのような措置は取っていなかった記憶があります)

「sugar」のメンバーは
ミキ (ボーカル、キーボード、ピアノ)
クミ (ボーカル、ギター)
モーリ (ボーカル、ベース)

モーリ(毛利公子→徳本公子(結婚で改姓)は、1988(昭和63)年6月に結婚。その後も仕事を続けていましたが、1989(平成元)年に第一子を妊娠、翌年4月に出産予定のところ、4月6日に陣痛を覚え病院に向かいましたが、既に胎児の心音が確認出来なくなっており、医師より死産を告げられ強い悲しみに取り乱しました。
精神的な落ち込みや母体への負担を考え、胎児の処置はすぐに行わず一旦安静の措置をとることになった。4月7日午前2時ごろ、呼吸をしていないことに付き添っていた妹が気づき、すぐに別の救急救命病院に搬送されたが死去。29歳没(享年31)

常位胎盤早期剥離による羊水塞栓症や妊娠高血圧症候群などが死因ではないかとの憶測が当時から流れていましたが、詳細な死因は現在も不明(非公表ではない。医師でも解説不可能な突然死)であるそうです。

この曲は私が大学2年目の曲で、一発屋のイメージが強かった(当時は一発屋が多かった時代)彼女たちでしたが、モーリの訃報には驚きました。

この年は昭和帝の崩御
手塚治虫先生
西堀栄三郎先生(雪山讃歌作詞。第一回南極観測隊副隊長)
松下幸之助氏
美空ひばりさん
松田優作さん
開高健先生
田河水泡先生(のらくろの作者)
等、有名人がこの世を去りました。

そんな中でモーリの死は、私にも、Nちゃんにも、そして多くのファンにも衝撃的なニュースでした。

あれから33年経ちました。
私もNちゃんも還暦を過ぎ、ナナカマドが色付き始めた釧路の秋の夜長を、当時を偲びながら過ごしています。