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遊遊のブログ

思い出の曲を、思い出と共に、気ままにアップしたブログです。


あゝ洞爺丸

作詞:吉川静夫
作曲:清水保雄

あらしのなかに 泣き叫ぶ
汽笛も絶えし 洞爺丸
かえらぬみ霊 いまいずこ
地獄の海か 北の海

君をば送る 桟橋も
明日なき旅と 誰か知る
おもかげ胸に 残れども
なつかし姿 いまは無し

津軽の海峡(うみ)を 越える日は
かもめも翼 たれて鳴け
いくたび秋は めぐるとも
涙はつきぬ 七重浜

➡️1954(昭和29)年11月18日に封切られた、48分のモノクロ映画「あゝ洞爺丸」の主題歌で、渡辺はま子さんが歌っております。
挿入歌は、古賀さと子さんの「海にいるお母さん」

洞爺丸台風は、1954年9月26日に津軽海峡を襲った台風で、5415台風マリーとも呼称されます。

15号台風は、当初は台風らしからぬ台風でしたが、日本海を北上するうちに時速50ノットを超える韋駄天台風となり、それが温暖前線によって頭を抑えられ、速度も時速15ノット程度に低下。
しかも当時、日本海側の観測点が、新潟以外になく、50ノットの計算で中央気象台も、函館海洋気象台も発表したことから、函館市に瞬間的に現れた無風、気圧低下、夕焼けを以て「台風の目」と判断し、客船洞爺丸は「遅れ4便」として18時39分に出航(連絡船は、客船は遅れでも出航するが、貨物船は翌日のダイヤまで待機)防波堤を交わしたところで、予備船長の近藤船長は港外避泊を決意。
しかし錨は効かず走錨し、9メートル超えの高波が七重浜に漂砂を作り、チャートに記載されている水深8,3メートル地点で漂砂にビルジキールを取られ横転しました(洞爺丸の喫水は4,9メートル)

乗客・乗員1,314名中1,155名死亡、生存者159名。

当日は客船洞爺丸の他に、スクラップのためにブイ繋留されていた「アーネスト号」の港内走錨を避けるため港外に出た、貨物船日高丸、北見丸、第十一青函丸、そして青森から来た十勝丸の4隻が沈没(客船大雪丸と貨物船第十二青函丸は生還。貨物船石狩丸は港内避泊、客船羊蹄丸と貨物船渡島丸は青森)と言う、最悪の事故でした。

私の叔父も、貨物船北見丸のファイヤーマンとして殉職しています。

当時の連絡船は、貨車の積み下ろしのための甲板に水密扉はありません。
今でも車両甲板に打ち入った海水で沈没したと信じている方が多いですが、車両渡船航行後の大正14年以来、車両甲板に水が入ったことはありません。
津軽海峡の波の長さより、船の長さの方が長いからです。

しかし当夜は異常でした。
異常に異常が重なり惨事が起こったと言えましょう。

洞爺丸横転の場所は、海岸から僅か1キロの所で、すくそばには第六真盛丸が座礁。
洞爺丸沈没を執拗なSOS打電で知らせた船です。

七重浜には「七宝寺」と言うお寺がありますが、境内地の観音様の周りだけ、紅く変色しています。
これは函館市内の火葬場が足りず、ご遺体を野天で火葬したために変色したものです。
私の叔父もお寺の洞爺丸台風殉難者過去帳に記載されています。

あれから68年経ちました。

今夜の海峡は穏やかでしょうか‥‥‥