忘れ得ぬ歌ぱーと812「僕たちの秘密」 | 遊遊のブログ

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思い出の曲を、思い出と共に、気ままにアップしたブログです。


僕たちの秘密

作詞・作曲:谷山浩子

毎朝僕の (ラ・ラ・ラ・ラ) 
ところまで ラ・ラ・ラ ・ラ
風がつれてくるの ヤ・ヤ・ヤ・ヤ 
ちいさな僕の (ラ・ラ・ラ・ラ) 
恋人は ラ・ラ・ラ ・ラ
誰にも見えないの 
君はいったい何なのさ 
そよ風みたいに歌ってる ラ・ラ 
誰も知らない秘密 
僕と君だけの恋 


君にあえない (ラ・ラ・ラ・ラ) 
朝なんて ラ・ラ・ラ・ラ
とっても気になるの ヤ・ヤ・ヤ・ヤ 
気まぐれなんだ(ラ・ラ・ラ・ラ) 
誰よりも ラ・ラ・ラ ・ラ
わがままばっかりさ
それどもやっぱり大好きさ
青空みたいに笑ってるラ・ラ
誰も知らない秘密
僕と君だけの恋


おかしな僕の(ラ・ラ・ラ・ラ)
恋人をラ・ラ・ラ・ラ
誰も知らないのヤ・ヤ・ヤ・ヤ
空の向こうに(ラ・ラ・ラ・ラ)
住んでいてラ・ラ・ラ・ラ
ひとりぼっちだったの
君はいったい何なのさ
みんなは信じてくれないのラ・ラ
誰も知らない秘密
僕と君だけの恋


➡️遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
年末にインフルエンザに罹患しまして、散々な年明けになってしまいました。

本年一発目は、1970(昭和45)年11月20日にリリースされた、沖縄出身の兄弟グループ「ベイビーブラザーズ」のサードシングル「白い天使」のB面曲で、谷山浩子さんが作詞・作曲しています。

ベイビーブラザーズは、1970(昭和45)年6月20日に、キングレコードから「私の恋人さん」でデビューし、その後10月20日にセカンドシングル「ジングルベル」
サードシングルとして「白い天使」とリリースしていますが、全く売れませんでした。

しかしグループ名を「フィンガー5」に変えてキディ・キディ・ラブ1972(昭和47)年8月25日に玉元正男作詞、玉元一夫作曲による「キディ・キディ・ラブ」で再再デビューした後、翌年の「個人授業」(8月25日)が大ヒットしたのは、あまりにも有名です。

しかしそれは置いといて、売れなかったとは言え、この曲は14才の谷山浩子さんが作った事にびっくりです。

今でこそ10代のシンガーソングライターは珍しくもありませんが、当時は「チューインガム」の松田姉妹位ではなかったかと思います。

この曲を作った谷山浩子さん。
中学生~高校生時代は演劇部に所属。また、学校(お茶の水女子大付属中)のすぐ近く(走って30秒)にあったキングレコードの中村晃子担当ディレクターのところに通って自作曲を聴いてもらっていまして、その結果この曲が採用され、これが芸能界での初仕事となりました。

15歳の時同じディレクターの勧めで自作曲を自分で歌ったLP「静かでいいな~谷山浩子15の世界~」をキングレコードから発売。
3000枚売れたが、すぐ廃盤(現在復刻CDあり)になりました。

その後、第7回ポピュラーソングコンテストで「お早うございますの帽子屋さん」が入選、翌1975(昭和50)年2月10日に本作をシングルでリリース、2度目のデビューを果たす。そして1977(昭和52)年「河のほとりに」で正式にプロデビュー。
以上の経緯から本人は「デビューが3回ある」と語っています。

谷山浩子さんは、はっきり言ってヒット曲と呼べる曲は皆無です。
しかし彼女のファンは、本当に長いファン歴を持っている人ばかりです。

それは何故なのか?
心に残る曲が多いからだと思います。

私も47年のファン歴を誇っていますが、奥さんのNちゃんは誉めてはくれません。

ただ彼女、この曲を知っていたのにはビックリしました。
フィンガー5のファンでもなかった気がするんですけどね…

ちなみにですが、谷山浩子さんの初恋は中1の時。その後の劇的再会を経て初恋のお相手と結婚されました。

私達は、52年に及ぶ幼なじみで、初恋の相手だった気はしますが、お互いにバツがついておりますが、結果は谷山浩子さんと似ているんかな?などと自惚れ(勘違い)ています。