忘れ得ぬ歌ぱーと791「娘が嫁ぐ朝 」 | 遊遊のブログ

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娘が嫁ぐ朝 

作詞・作曲:財津和夫

車で娘と二人 お前にあいにきたよ
野の花咲いた しずかな丘に
眠るお前は 倖せ者さ
声も聞きあきていたさ 顔も見あきていたさ
悲しくて目を (悲しくて目を)
おさえたんじゃない (そうさそれだけ)
空の青さが まぶしいだけさ

想えば今は遠い 愛を誓った日
時計台見上げる 古びた教会


何日も口をきかず 別れて暮してみたね
不思議なものは 男と女
いつかたぐり寄せた 心の糸
あいつが嫁いで行けば 私は一人家の中
お前はいつも (お前はいつも)
私と居るだろう (一緒に居るさ)

わずかに残った この人生を
も一度だけ お前と腕組み歩きたい
時計台に続く レンガのあの道


も一度だけ お前と腕組み歩きたい
時計台に続く レンガのあの道


➡️1976(昭和51)年4月20日にリリースされた、チューリップ11枚目のシングル(自主製作盤「 柱時計が10時半」からだと12枚目)曲で、B面は「風見鳥」です。

この曲のイントロは、この曲の名前をを知らない方でも「あ、あの曲や」と思い出せるほど特徴的ですが、曲構成(アレンジ)がチューリップらしからぬ…と言うか、はてまたチューリップらしいと言うか、とにかく「ニューミュージック」としては異端だったかな?なんて思っていました。

この曲の直近が「サボテンの花(昭和50年2月5日 )」でしたから、余計そう感じたのかもしれません。

この曲がリリースされた時、私は中学3年でして、里子先のお母さんにハッパをかけられながら、高校受験の勉強を「嫌々」していた時期でして、傍らにN.Kちゃん達がいなければ、躊躇わず就職していた…(と思う)

実際里子に入って高校なんて、普通は贅沢か夢で終わったもので、通常は「15の春」と言う、感動的な対面で実家に戻され、就職するのが大多数でした(この15の春とは、中学までは里親や施設に預け、中学卒業と同時に引き取り、就職させて給料を入れさせるもの)

ですから私やC.Kちゃんは、非常に恵まれた環境だったわけです。

そんな時期にこの曲がラジオから流れてきたのですが、当時誰を思って聴いていたのかわかりません。

ただ、Nちゃんと一緒になり、N.KちゃんやC.Kちゃんが紫雲台と言う、静かな丘に眠っているのも、何か不思議な因縁を感じさせます。

私は現在、第三頸椎から第六頸椎、胸椎の骨を部分切除して、脊椎を後方に逃がし、第五頸椎から第六頸椎、胸椎の「骨折」しているぶぶんの骨の上下をボルトで連結して、骨移植を行う「頸椎症性脊髄症。頸椎症性神経痕」 の手術で入院していまして、間もなく退院までこぎつけましたが、首は2回目とあって半ば諦めていました。

実際昏睡状態だったらしく、大量の発汗で血圧が低下し、スタッフが「ヤバい」と感じたらしいです。

意識朦朧の常体から引き出してくれたのは、看護師さんの平手打ちと、奥さんのNちゃんの平手打ちでした。

意識が戻ってから、ICUで私の頭を駆け巡ったのがこの曲でしたが、この曲と真逆になるところでしたね(笑)

護られている自分と生かされている自分。
まだまだ死ねそうにありません。

いよいよ来週退院ですが、首のボルトが辛い冬が怖いです。