家路
作詞 :山上路夫
作曲 :渋谷毅
たそがれの街 人はみな急ぐ
どこへ行くの誰が待つの
ながれる人の波
私がここに ひとりでいるのに
誰もみんな気づかないで
歩いてゆくのよ
私は待つの 愛するその人が
私の前に 立つ日が来る時を
その日はいつか 知らないけれども
今日もひとり夢にえがき
家路をたどるの
あなたは誰か 名前もわからない
けれども待つの あなたに逢う時を
その日はいつか 知らないけれども
今日もひとり夢にえがき
家路をたどるの
➡️ 1971(昭和46)年7月にリリースされた、本田路津子さんのサードシングルで、同じ年の8月にリリースされたセカンドアルバム「家路」の収録曲です。
B面は「金色の時間」
本田路津子さんは、1970(昭和45)年9月「秋でもないのに(B面小さな丘の小さな家)」でデビューし、セカンドシングル「風がはこぶもの(B面野に咲く花)」に続き、暗い世相の中、爽やかな歌声を聴かせてくれました。
ただこの曲は前2曲に比べると、グッと大人っぽい歌詞ですし、曲も子供が口ずさむには難しいものでしたが、当時小学3年だった私は、お気に入りだったのか、よく歌っていたとNちゃんが言っていました。
そして、それ故に「子供らしくない」と、継母に虐められた。
この曲がリリースされた時、漁師だった父は「北洋漁業」でアリューシャンに出ており、家は義弟との3人暮らし。
Nちゃんは二軒屋の隣でしたので、当時の私の事は全て知っています。
壁を隔てて、二人でリコーダーの合奏をしたのも、この当時でした(小3でリコーダーを習ったため)
継母は私を外に出さない事が大好きな女で、この女が継母になってから、私は夏休みに何処かへ行った事がありません。
学校から家に帰るのが嫌で、班別に行う教室の掃除があると、ホッとしたものです。
「家路」って、子供にとっては一番解放される時間の筈ですが、私には憂鬱な時間でしかありません。
児童を保護するための法律(児童福祉法)には、素敵な素晴らしい文言が記されていますが、私やC.Kちゃんを始めとする、不適格な親と称する人間に当たった児童には、生命の危険がない限りは保護されることはありませんでした。
そんな毎日を送っていた私が、子供らしくないと罵られつつも、覚えてしまったのがこの曲です。
ちなみにC.Kちゃんもこの曲を知っていました。
私達が保護されるのは、この曲がリリースされてから1年以上も後の事です。
本当は別の曲の思い出を書くつもりでしたが、奥さんのNちゃんと、Nちゃんのお母さん(私の義母)が継母とバッタリ逢った事で、この曲「家路」を選んでしまいました。
この曲は大好きな曲です。
大好きな曲ですが、やはり辛い曲です。