作詞:なぎらけんいち
作曲:加川良
いもちゅうは六十度
ジンは四十度
だから悪酔をしないようにね
あわてるとついふらふらと 飲み屋のためなどになりますよ
青くなって もどしなさい
はきなさい あげなさい
飲屋は俺達いなくても ずっと後までありますよね
又来てねで終るだけ 給料袋のスペアはありませんよ
いもちゅうは 六十度 ジンは 四十度
だから悪酔をしないようにね
あわてると ついふらふらと 二日酔などになりますよ

元歌は、加川良さんの「教訓」ですが、内容は似ても似つかない代物ではありますが、つい「クスリ」としてしまう歌詞です。
高度経済成長期の日本は、多分こんな感じだったのでしょうね。
ちなみに私も奥さんのNちゃんも、お酒は飲みませんので「芋焼酎」や「ジン」がどれだけキツいのか、想像できません。
一度騙されて「テキーラサンライズ」を、神戸メリケンパークオリエンタルホテルのバーで飲まされましたが、とても甘くて口当たりも良く、グラスを空けてしまったのが運の尽き…
腰は抜けるし、部屋では食べたもの(神戸牛のステーキ!)を全部吐き戻し、翌朝は頭痛で、頭が割れそうになって…
とにかく酷い目にあいました。
私の養父も、Nちゃんのお父さんも、北洋漁業の漁師さんでしたから、まぁ飲むわ飲むわ。
ザル?ウワバミ?
以来酒飲みは、徹底して嫌うようになりました。
ただ当時は、今みたいに娯楽が多いわけてもなく、船を下りたらまず「風呂」次に「酒」だったみたいで、漁師に限らず、肉体労働者は、酒でウサを紛らわしていたのでしょう。
思えば昭和40年代の日本は、まだまだ貧しかったと思います。
まぁ、貧しくても元気なのは子供達だけですね。
この曲が出た時、私は生地獄でした。
そして、生傷だらけの私を、NちゃんやNちゃんのお母さんに助けて貰った事は、一生忘れません。
「地獄は、死んでからの世界ではなく、この世に確かに存在している」
これは児童相談所で、私とC,Kちゃんが、子供ながら行き着いた答えでした。
昔を忘れる為に、飲めるものなら、飲み潰れてみたいものです。