忘れ得ぬ歌ぱーと413「砂山」 | 遊遊のブログ

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砂山

作詞:北原白秋
作曲:中山晋平
山田耕作

海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ


暮れりゃ砂山 汐鳴ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ


かえろかえろよ 茱萸原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした


soon1922(大正11)年、中山晋平に作曲を依頼し、雑誌「小学女生」9月号に発表された童謡(唱歌)で、翌1923(大正12)年、山田耕筰がこの白秋の詞に自らの曲を付けました。

ひとつの歌詞に二人の曲がつくのは、珍しい事ではないらしいですが、大体はどちらか忘れられる様ですが、この「砂山」は、両方歌い続いている、大変珍しいパターンです。

この曲は1922(大正11)年6月、北原白秋が新潟で童謡音楽会に招かれ、この時、小学生たちから新潟にちなんだ歌の注文を受けました。

白秋は、市街地に隣接する佐渡島を一望できる寄居浜に出向き、荒涼とした物淋しい光景から着想を得て詞を書き上げたと言われています。

余談ですが「帰ってきたウルトラマン」14話(昭和46年7月2日放送)「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」で、怪獣シーモンスが歌っていた物は「砂山」の歌詞を、逆から歌ったものでした。


さて私達夫婦は、昨日出航のフェリーで、新潟県に来ております。

私の義父は新発田市藤塚浜、奥さんのお父さんは聖籠町次第浜の出身で、言わば隣町ですので、とりあえず顔を出すことにしました。

案の定叔父叔母従兄弟従姉妹どもに、物凄い小言の嵐で迎えられ、落ち着いたのが昼過ぎ。

暑いわ鬱陶しいわで、二人して新潟市内に避難。
市内を歩きながら、どちらともなく「海へ行こうか…」となり、東堀から坂道を歩き(途中に従姉の家がありますが、勿論スルー)着いた所が「寄居浜」でした(私は「月見浜」を目指していたんですが…)

佐渡島はうっすらと見えましたが、とにかく暑い。

白秋が詠んだ寄居浜の寂しさは、もう感じられませんが、この近くで、横田めぐみさんが、北鮮工作員に拉致されたのを思うと、子供時代に聞いた「神隠し」を、思い出してしまいました。

今日の日本海は、穏やかで、事件の暗さなど、微塵も感じさせない、明るい表情です。

ただ波の音だけが、やけに耳に響いたのは、気のせいでしょうか…