忘れ得ぬ歌ぱーと342「時計台の鐘」 | 遊遊のブログ

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時計台の鐘

作詞・作曲:高階哲夫

時計台の 鐘が鳴る
大空とおく ほのぼのと
しずかに夜は 明けてきた
ポプラの梢に 日は照りだして
きれいな朝に なりました
時計台の 鐘が鳴る


時計台の 鐘が鳴る
アカシアの樹に 日はおちて
しずかに町も 暮れてゆく
山の牧場の 羊のむれも
だまってお家へ かえるだろ
時計台の 鐘が嗚る


soon1923(大正12)年に高階哲夫によって作詞、作曲されました。

時計台は、旧札幌農学校(北海道大学の前身)の演武場として明治11(1878)年に建築された洋風建築で、現存する時計塔としては日本最古のものです。
塔上の時計はアメリカ製で当時、時計台の時を告げる鐘は、一里四方にわたって鳴り響いたといわれています。

今では周囲をビルに囲まれて、鐘の音はほとんど周辺にだけしか聞こえなくなってしまいましたが、鐘そのものの音は、明治の昔と変わらない音色を奏でています。

尚STVラジオでは、朝の9時に、時計台の鐘が時報として流されます。

高階哲夫氏は、富山県の出身で、妻でアルト歌手のます子さんとともに札幌でコンサートを行った際、札幌の町の印象をまとめたのがこの曲です。
1923(大正12)年と言えば、札幌区が札幌市となった次の年で、人口こそ北海道第3位でしたが、道都として、着々と発展していた時期です。

市内を走っていた馬鉄は、路面電車に変わったものの、まだまだ馬車が通りを走り、手稲山の頂きに、はっきりと北極星が輝いていたことでしょう。

この曲は、何度かの手直しを経て1927(昭和2)年)に楽譜が出版されました。

初レコード化は昭和6年4月、高階氏のピアノで夫人のます子さんが独唱して録音されました。

その後川田正子さんも、レコーディングしています。

釧路に住む者にとって、札幌は道都ではありますが、言わば「他県」に等しい存在ですが、中学の修学旅行で、ガイドさんがこの曲を歌った時「この道」「洞爺湖畔の夕月に」と共に、心に深く残った曲でした。

釧路に帰ってからも、私が「時計台の鐘」を歌うものですから、N.Kちゃんも、Nちゃんも、C,Kちゃんも、呆れた様な顔をしてくれましたね。

現在、札幌を散策しても、おそらく観光客には、当時の札幌を見出だすのは難しいと思いますが、よくよく探すと、あちこちに大正、昭和初期の雰囲気が残っている街です。