忘れ得ぬ歌ぱーと186「鬼無里の道」 | 遊遊のブログ

遊遊のブログ

思い出の曲を、思い出と共に、気ままにアップしたブログです。

鬼無里の道

作詞:佐藤順英
作曲:西島三重子

昔女に化けし鬼の忘れがたみと伝え聞く
ああ紅葉たずねて鬼無里の道
女ごころを君知るや

悪しき女と世に流れ覚えなきともすべもなし
ああ紅葉たずねて鬼無里の道
影に日向に君思ふ

たとえ生涯逢えねどもつのるいとしさ誰に負けん
つひにもらさぬ我が心後の煙に知れようか

老いし夫婦の語らひにしばし安らぐ浮世かな
ああ紅葉たずねて鬼無里の道
結びかなわぬわが恋や


soon昨日に続いて、西島三重子さんです。

この曲は、1975(昭和50)年9月5日にアルバム「風車」に収録されています。

鬼無里とは長野市鬼無里地区のことで、かつては鬼無里村と呼ばれていました。
ここには「紅葉伝説」という「鬼女」の伝説が残されており、「鬼無里の道」もその伝説にモチーフを求めた歌詞となっています。

鬼無里伝説とは…
平安時代のこと、会津で暮らしていたある夫婦に娘が生まれ、呉葉と名付けました。
呉葉は才色兼備な娘に成長し、やがて京の都に上って名を紅葉と改めます。
京で琴を教えていた紅葉ですが、ある時源経基の目に留まり、側室となった紅葉は経基の子供を身篭ります。
その頃から経基の正室が病に伏せるようになり、比叡山の高僧に祈祷を依頼したところ、正室の地位を奪わんとする紅葉の妖術が原因であることが発覚し、紅葉は信州戸隠の水無瀬の地に追放となりました。
水無瀬の里にたどり着いた紅葉は村人に都の知識を授け、また妖術で病を治してやったりしたので、次第に村人の信望を得て、経基との子・経若丸と平穏に暮らしていました。
しかし経若丸の成長を見るにつけて、再び都の華やかな暮らしに戻りたいという思いが日ごと強くなり、その資金を得るために盗賊集団を率いて近隣の村々を荒らしまわるようになります。そしてその悪名は「戸隠の鬼女」として都にまで響き渡るほどとなりました。
そこで朝廷は鬼女討伐のために平維茂を戸隠に向かわせますが、紅葉の妖術に阻まれて苦戦を強いられます。かくなる上はと観音様に祈りを捧げたところ、夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の剣を授かります。
維茂の神剣に妖術を封じられた紅葉は敗れ、その首を刎ねられて果てました。
紅葉三十三歳の秋でした。
その後鬼のいなくなったこの村は「鬼無里(きなさ)」と呼ばれるようになったとのことです。