作詞:アン真理子
作曲:中川克彦
明日という字は明るい日と書くのね
あなたとわたしの明日は明るい日ね
それでもときどき悲しい日もあるけど
だけどそれは気にしないでね
二人は若い 小さな星さ悲しい歌は知らない
若いという字は苦しい字に似てるわ
涙が出るのは若いというしるしね
それでもときどき楽しい日も来るけど
またいつかは涙をふくのね
二人は若い 小さな星さ悲しい歌は知らない

アン真理子(本名佐藤由紀)さんは、1966(昭和41)年 出門ヒデさんと「ユキとヒデ」を結成し、1967(昭和42)年 デビューシングルをリリース。
その後1968(昭和43)年 ユキとヒデ゙は解散し、相方のヒデは同年「ヒデとロザンナ」を結成します。
ちなみにロスで殺された青森県出身の歌手「杏真理子(きょうまりこ)」さんとは、全くの別人。
この曲は、当時行っていた小学校の児童の間では、かなり流行っていた曲でした。
「時には母のない子のように」に匹敵する「暗い歌」なのですが、歌詞が子供にも覚えやすかったので、こちらの曲が子供達に受け入れられたのだと思います。
昭和44年と言う年は、北海道の片田舎のガキ共にも、重苦しさを感じさせた年でした。
○東大安田講堂占拠の学生排除。
○連続ピストル魔逮捕
4月7日、警視庁、連続ピストル射殺事件の被疑者永山則夫を逮捕。
○佐藤首相訪米で、沖縄72年返還決まる。
しかし子供達は、赤旗やヘルメットの集団から目を逸らし、翌年に控えた大阪万博を夢見ていました。