産経抄 2014.1.4
ご近所付き合いは難しいもので、家の境界線はもとより、ゴミの出し方といったささいなことでも諍い(いさかい)のもとになる。それでも自分や親しい人が、隣人に助けてもらったら、たとえ嫌いでも礼のひとつでも言うのが最低限のマナーだろう。命にかかわる事態ならなおさらである。
正月早々、中国大陸から気球に乗って尖閣上陸を目指した酔狂なご仁がいた。もちろん失敗して海に落っこちた。
「侵略者」を助ける義理はないが、心優しい海上保安官たちはすぐに現場に駆けつけ、救助したばかりか「人道的見地」から中国船に引き渡してあげた。
常識ある社会人なら菓子折りを持って頭を下げにくるものだが、北京にはそういう風習はないらしい。
中国外務省の報道官は「この中国人は気球愛好家だ」とわけのわからぬことを言うだけで、謝辞のかけらもなかった。
そっくりな光景を昨年末、ソウルでも見た。南スーダンで活動している自衛官は、極度の銃弾不足に陥った韓国軍からの緊急要請を受け、法律ぎりぎりの線で弾を送った。
するとどうだろう。韓国の高官と称する人々は「弾は足りていた」とウソと非難の大合唱を浴びせてきた。
礼節という言葉をすっかりと忘れた国々がお隣なのは、日本にとって不幸極まりない。
かの福沢諭吉が、脱亜論を唱えたのも今となってはよくわかる。しかも今年は甲馬(きのえうま)に当たる。
120年前の朝鮮半島では、李王朝の苛政(かせい・厳しい政治)に農民が反旗を翻した「東学党の乱」が起きた。これを機に出兵した日清両国はほどなく衝突、日清戦争が勃発したのが甲馬の年だった。
干支(えと)を2回りして今また日中関係と半島がきな臭くなっている。歴史は繰り返す、とは信じたくないが、万が一の備えだけはしっかりしておきたい。
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正月早々シナ人が起こした事件と、年末マスゴミも伝えた韓国軍への銃弾供与。
シナ人の記事→『元日に尖閣上陸計画 失敗のシナ人を海保救助』
韓国の記事→『銃弾要請 国防省幹部「緊急性高かった」 韓国の虚偽明らかに』
“道徳”という観念すらない両国にはさまれ、わが国は“ご近所さん”に迷惑をこうむり続けている。
例の売春婦像の撤去をめぐり、海の向こうの覇権国家の対応もきな臭くなってきた。
その異様さは、一般国民も気づき始めている。
安倍内閣では、下村博文大臣を中心に教育改革を推し進めている。
道徳教育の復活が決まり、高校での日本史も必修となった。
しかし時間がない。
ご近所さんと、世界の覇権国家の暴走が先か、
日本国民が真に目覚めるのが先か。
世界中が平和に公平になるためには、ここで日本がつぶされるわけにはいかない。
ではでは。∠(`・ω・´)