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不動産の相続は殆どの家庭で発生する身近な出来事
相続財産の中に不動産が含まれている場合が多いのは容易に想像がつくと思いますが、総務省が5年ごとに行っている住宅・土地統計調査の令和5年の調査結果において、持ち家が3387万6千戸で、住宅全体に占める持ち家住宅の割合(以下「持ち家住宅率」という。)は60.9%となっており、65歳以上の高齢者のいる世帯においては81.6%が持ち家となっています。つまり、不動産の相続は殆どの家庭で発生する身近な出来事なのです。
不動産は一物四価
モノの価格は基本的に需要と供給の関係で決まりますが、実際に取引が行わている市場価格、すなわち実勢価格がモノの価格ということになります。仮に缶ジュース1本1億円という値札がつけられていたとしても、誰も買う人はいないので、それは実勢価格ではありません。不動産も同じです。不動産を売りたい人がいて、買いたい人がいる。売りたい人はできるだけ高く売りたい、買いたい人はできるだけ安く買いたい、それで適当なところで折り合いをつけて取引が成立する、それが実勢価格(市場価格)ということになります。しかし不動産はそう頻繁に実際に売買されるものではありません。それで実勢価格の他に公示地価、相続税評価額、固定資産税評価額を定め(一物四価)用途に応じて使い分けているのです。
公示地価は、国土交通省が全国約26,000の標準地における毎年1月1日の時点の価格を算出したもので、公共事業用地の取得価格や、一般の土地取引価格の指標を与え、適正な地価の形成に寄与するために行われています。標準地以外においては、個別具体的な土地の条件により実勢価格は異なりますが、公示地価は取引相場の参考になります。
これに対し、相続税評価額、固定資産税評価額は政府や自治体が税額を決めるために定めたものです。固定資産税は不動産を所有しているだけで毎年かかる地方税、相続税は、相続が発生した時にかかる国税です。
一般的に公示地価を1とすると、相続税評価額は0.8倍、固定資産税評価額は0.7倍となっており、実勢価格は個別具体的な条件により異なりますが、1.1~1.2倍程度になることが多いようです。
遺産分割に大きな影響がある不動産の評価額
では相続時における不動産評価額はどうなるのでしょうか?相続税においては、路線価などで相続税評価額が明確に決まっているので問題はありません。一方、遺産分割においては、当事者同士が合意すれば、どのような評価額を採用してもOKなのですが、その評価額によって相続財産の取り分に大きな違いがでてきます。
例えば、相続財産が不動産と預金1000万円のみ、相続人が子ども2人(AとB)とします。
その不動産の固定資産税評価額が700万円、実勢価格1200万円と仮定します。
仮に不動産の遺産分割評価額を700万円とすると、遺産総額は1700万円となります。法定相続分どおり1/2ずつ平等に分ける場合、ABそれぞれ850万円ずつの相続となり、Aが不動産を相続すると、Aの取り分は不動産+預金150万円となり、Bの取り分は預金850万円となります。
不動産の評価額を実施価格の1200万円とした場合はどうでしょうか?遺産総額は不動産1200万円+預金1000万円=2200万円となりABそれぞれの取り分は1100万円となります。Aが不動産を取得する場合、Bが預金1000万円全てを相続してもBの取り分は100万円足りませんので、AはBに100万円を支払う必要が出てきます。(代償分割)Aが不動産を実勢価格の1200万円で売却するなら売却額の中から100万円払えばいよいのですが、売却しないのなら、他から100万円を工面しなければなりません。
Aとしては、不動産+預金150万円取得できるのと、不動産を取得する代わりに100万円払うのとでは大きな違いがで出てきます。
家庭裁判所が採用するのは実勢価格
ABが話し合って解決できればそれでよいのですが、折り合いがつかなければ家庭裁判所の遺産分割調停により合意を目指し、それでも合意に至らなければ遺産分割審判により家庭裁判所が遺産分割方法、すなわち不動産の評価額を決定します。家庭裁判所での遺産分割の実務では、実勢価額(市場価格)を基準にしています。より正確な実勢価格を算出するために、裁判所選任の不動産鑑定士に鑑定してもらうこともあります。この鑑定には数十万円かかるので、AB二人でこの費用を負担することになります。さらに調停の審理期間は平均1年弱、出廷回数は平均6回であり、しかも全て平日に行われるので仕事を休む必要もあります。要はたいへんな時間と労力がかかるのです。さて、人々はそこまでして徹底的に骨肉の争いをするものなのでしょうか?実際のところはどうなのでしょうか?
遺産分割調停の件数は、全相続案件の1%未満
令和5年の死亡者数(=相続発生件数)1,575,936 人に対し、同年の遺産分割調停の新規申立件数は、全国で13,872件であり(司法統計)となっており、その比率はわずか0.88%、つまり100件に1件未満なのです。約99%は当事者同士の話し合いで合意に至っているのです。
算出が難しい実勢価格
では不動産の評価額はどの指標で合意に至っているのでしょうか?これは統計がないのでわかりませんが、固定資産税評価額で計算している場合が多いような気がします。なぜならば、不動産の実勢価格を算出するのは難しいからです。費用がかからず簡単な方法としては、不動産会社に査定を依頼することがあります。不動産会社によって査定額が異なる場合がありますので、複数社に依頼する必要があります。より客観的な指標として、不動産鑑定士による鑑定評価があり、遺産分割審判でも用いられますが、数十万円もの鑑定費がかかり、この費用は相続人の負担となります。しかし、いずれの方法においてもその実勢価格は推察でしかありません。実際に売却するならその売却価格がそのまま実勢価格となるので明解なのですが、売却はしないが売却するとしたらいくらで売れるのか?はその不動産のもつ個別具体的な事情により流動的であるからです。それなら、実際には売却しないのに、架空の売却価格(実勢価格)を算出するよりも、全ての不動産に対し客観的な基準に基づき自治体が明確にしている固定資産税評価額の方が、落としどころとなりやすいと思うのは私だけでしょうか?同じく客観的な評価額として相続税評価額があり、相続税を申告する人はそれをそのまま遺産分割の評価額にするのも納得感があると思いますが、相続税を申告する人は、全相続件数の1割程度なので、固定資産税評価額の方が殆どの人になじみのある金額だと思います。
遺産が莫大である(争うだけの価値がある)、兄弟がもともと仲が悪い、兄弟といえども相手は前妻の子であり会ったこともない、などの事情がない限り、徹底的に争うより、当事者同士の話し合いで折り合いをつけているのが、現実なのです。「和を以て貴しと為す」という日本人の価値観が根底にあるのでしょうね。