さて、2024年 3月8日(金)

衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。


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鳥山明先生が

逝去されました。。。



説明は必要ないかとも思うものの一応しておくと、鳥山先生は漫画家である。

『Dr.スランプ』そして『ドラゴンボール』という世界的に有名な2作品が代表作であり、現在は『SAND LAND』が映画化するところであった。



第一報を目にした時は目を疑った。


いや、信じられないというかそれ以上に何が書かれているか理解できないレベルで思考停止していた。



次に脳が起きた時のクェン酸の心の中はこんな感じ。(↓)



茫然自失のちに号泣、そして咆哮

(ジョジョの奇妙な冒険 第2部/エシディシ)


それぐらい僕にとって、

いや僕らの世代にとって『鳥山明』という名は崇拝されて然るべき名前である。


10代の頃の僕は毎週月曜日は書店・コンビニに駆けつけ、週刊少年ジャンプを手にとりドラゴンボールの続きを読んでいた。


先週、劣勢だった孫悟空は敵に一矢報いているのか、活路を開いているのか。はたまた僕らの想像すらしていなかった更なる絶望が襲いかかっているのか。


学校ではすでに読み終わっている悪友たちと今後の展開の予想。

仮に休載で読めなかったりしようものなら呼吸は乱れ、動悸息切れ、瞳孔反射も光を失う勢いである(病院行け)


当時(今もだが)は、鳥山先生がいなくなるなんて考えることすらしなかった。




それだけに先生の訃報は、

まさに青天の霹靂一閃である。

━━╋⊂( ・̀ω・́)╋━彡スパッ


バードスタジオから発表された文面によると、

鳥山先生は3月1日に急性硬膜下血腫により永眠されたのだそうな。


享年68歳。

早い、あまりにも早すぎる。


何なら僕は勝手に10年後、20年後のドラクエのイラストを想像していたし、今でもドラクエウォークの次の特級職のイラストを日々心待ちにしていたぐらいである。


いつか奇跡のような偶然が重なってお会いできたなら『先生の漫画は僕の人生のバイブルです』と手をとって御礼を言いたかった。が、それは永遠に叶わぬ夢となってしまった。


『ONE PIECE』の尾田栄一郎先生と『NARUTO』の岸本斉史先生の追悼コメントを読んだら、まんま僕の気持ちと一緒で「……あぁ、みんなやっぱりそうだったんだな」と改めて実感した。



僭越ながら拝借して掲載させていただくと、





尾田栄一郎先生のコメント


あまりに早すぎます。
空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、
悲しみが押し寄せてきます。
子供の頃から憧れすぎていて
初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。
我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道
岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。
最後に交わした会話も覚えています。
漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り
大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり
漫画ってこんな事もできるんだ
世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。
突き進むヒーローを見ているようでした。
漫画家に限らず
あらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代に
ドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。
その存在は、大樹です。
同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって
鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。
怖いくらいに。
でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。
僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。
鳥山先生の残された創造性豊かな世界に
敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。
天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。
尾田栄一郎




岸本斉史先生のコメント


突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。
ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。
嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。
本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!
大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。
とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。
でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。
僕も先生のような作品を作りたい!
先生のようになりたい!
と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。
漫画作りが楽しかったからです。
先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。
先生はいつも僕の指針でした。
憧れでした。
先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。
僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。
初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。
ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。
ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。
今、先生のご訃報を受けたばかりです。
ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ...
まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。
今は大好きなドラゴンボールも読めません。
先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。
世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。
もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら...すみません...
それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。
鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。
残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。
ご自愛くださいませ。
鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。





────もう、本当に言葉に出来ない。尽くせない。


それぐらい僕らの世代の心の奥の根っこにほど近い部分にあったのが鳥山作品だったと思う。


それは感謝でしかなくて

最高に楽しくて面白い物語を世に生み出していただいたことに対する畏敬の念でしかない。


それほどに偉大な漫画家は、早すぎる伝説となってしまった。


鳥山先生ぇぇぇぇ……

まだまだ沢山のイラスト拝見したかったです。

まだ見ぬ心躍らせる物語を読ませていただきたかったです。



45年間以上にわたる創作活動、お疲れ様でした。

今はただ、ご冥福をお祈りします。



本当にありがとうございました。



クェン酸






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