出産予定日を過ぎても⑤ | エルコのブログ ~ドイツはライン川のほとりで~

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ドイツはライン川の近くに住むエルコが、日常の風景をお届けします

さて、無事に出産を終えましたが、予定していた普通分娩ではなく急転直下の帝王切開となってしまいました。

 

何時間にも及ぶ陣痛に耐え下半身の麻酔になり、その上更に帝王切開と、すべてを経験したわけですが、デザート・コーヒー付きのフルコースなのにメインディッシュが抜けているようなそんな感覚です。

どの出産が良いとか、絶対に普通分娩とか思っていたわけじゃありませんが、陣痛が来たら経腟分娩になるだろうと思っていたので、何となく物足りなさを感じます。

当日そんなことを思う余裕は勿論ありませんでしたけどね。

 

子供と夫は早々に退場し、どこかで二人だけの時間を過ごしている間、私は手術後の処置を受けています。

カーテン越しには何も見えませんし何も感じませんが、音だけは聞こえてきます。

手術で子供を取り上げるまでよりも長くかかっている気がします。

何をどうしているのかは分かりませんが、何回もズゾゾゾゾゾゾゾーーという何かを吸引する音が聞こえます。

 

子供が生まれてくるまでは胃酸の逆流に苦しんでいましたが、突然吐き気が襲ってきて、頭を下に下げた状態で寝たまま、看護師さんに用意されたトレイのようなものに吐き出すこと4回。

手術の前に晩ごはんを食べてしまったことを伝えると、緊急の手術で予定されていないから、食べてしまっても構わないとの事。

普通の手術でしたら部分麻酔でも最悪の場合の全身麻酔を想定して、手術前の数時間は絶食となるはずなんですが、予定になかった場合には何とかなるもんなんですね。

 

ところが面白い事に、気持ち悪くなって吐いた後に気づいたんですが、子供が取り上げられてから胃酸の逆流がなくなったんです。

ホルモンのせいだったのか、物理的に胃が圧迫されていて逆流があったのかは分かりませんが、子供がお腹からいなくなった途端にさっぱり消えてなくなった逆流の苦しみ。

実に興味深い。

 

手術後の処置がようやく終わり、子供と夫の待つ部屋へと運ばれました。

そこで助産師さんに促されて授乳です。

 

え?母乳ってもう出るの???

 

そんな感じでした。

子供を抱くのも恐る恐る。布にくるまれているので不安定さはありませんでしたが、何せその小ささにおっかなびっくりです。

その時初めて我が子を胸に抱くのですが、感動の瞬間!とはその時もなりませんでした。

別に急かされたわけではないのですが、言われるままに子供の口に自分の乳首を持っていかなければならないからです。

生まれたての小さな口で含んで一生懸命口を動かす姿。

感動……

ではなく、とにかく頭の中はこんなんで授乳になっているのか?

本当に母乳が出るのか??

そんな疑問だらけでした。

 

早くても次の日とか、そのくらいになって母乳が出始めるものだとばかり思っていたからです。

よく母乳を出すためにおっぱいマッサージをするとか、それが滅茶苦茶痛い!とか聞いていたので、そういう事をしないと出ないものだとばっかり思っていましたが、実際は違うんですね。

経験してみないと知り得ない事でした。

 

しばらく離れていた助産師さんが戻ってくると、子供の体温を計ったりちょっとした検査をしていました。

すると、体温が普通より高いから、感染症の疑いがあるとの事で、急遽小児科に回されることになってしまいました。

 

破水が起こったら抗生物質の投与が普通と聞いていたのに、私の場合何もされずに次の日までいましたし、それから出産まで長い時間を要したので、その間に何かの感染症にかかってしまったのかもしれません。

そういう事があっても大事に至らないように、小児科のある大学病院での出産をしようと思ったのですが、まさか自分がそういう経験をする事になるとは思ってもいませんでしたし、そもそも抗生物質の投与があったら感染症にかからなかったんじゃないか?処置がなかったことに疑いを持ちました。

しかし、起こってしまったことは変えられません。

救急で小児科に行くのには夫が付き添ってくれ、私はそのままベッドに横たわったまま夫の帰りを待つだけでした。

夫が帰ってくるまで2時間くらいはあったでしょうか。

子供の様子は検査をしてみない事には詳しい事は分からないけれども、少なくとも3日は新生児室に留まって、抗生物質の投与が行われるとの事でした。

 

同室の人が出産をした時には、自分のベッドの横に赤ちゃん用のベッドを置いてお世話をしていたので、私も当然そうなると思っていたのですが、まさか離れ離れになるとは。

毎日新生児室に通って時間の許す限り傍にいることにしました。

 

子供の心配も一応はなくなり、部屋に戻ることになったのですが、何と看護師さんたちが手術後に他人の子供の泣き声で休めないと辛いだろうからと気を遣って、私を今までいた部屋ではなく別の部屋へと連れて行ったのです。