Purslane Promenade すべりひゆの散歩道



 この白馬に跨った貴人は誰でしょう。この絵はある神社の本殿の壁に描かれています。紫式部の『枕草子』244段(岩波『日本古典文学体系』)に


「蟻通の明神、貫之が馬のわずらひけるに、この明神の病ませ給ふとて、歌よみたてまつりけん、いとおかし」


として登場します。つまりこの神社は蟻通神社(ありとおしじんじゃ)で、白馬に跨った貴人は『土佐日記』の作者・紀貫之です。


 

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 蟻通神社は大阪府泉佐野市にあります。なぜ蟻通神社と呼ばれるのかも『枕草子』に書かれています。紀貫之との関係は『貫之集第十部雑』に載っています。詳しくはまた後ほど。


 この神社の存在はずっと以前から知っていましたし、偶々ですが、私の最後の職場の同僚の1人はこの神社の神主の娘でした。そんなこともあった上に、5年間もこの近くを車で通勤していたのですが、気にはなりながらついに訪れることもなく退職して10年以上過ぎていました。


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 上の写真は大阪夏の陣の古戦場=樫井川です。右を川が流れています。左に古戦場跡の碑があります。




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 そして、この戦で討ち死にしたとして知られているのが塙団右門直之と淡輪六郎兵衛政之。塙団右門は「天下の豪傑」として子どものころから名前だけは知っていました。淡輪六郎は後に知りましたが、彼も豪傑の1人だったようです。この2人の墓があるのも知ってはいたのですが、やはり訪れる機会がなく月日がたっていました。この2人の豪傑が討ち死にしなければならなかったような大阪方の負け戦だったのが、山内一豊が土佐を治めるようになった遠因ともなったのです。




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