この画像は、「TELASA」のサイトから拝借した

 

加入しているCATVの「多チャンネル放送」のおかげで、たくさんの映画などがお茶の間で録画・視聴できるようになった。NHK BSの「プレミアムシネマ」(4/22 13:00~14:54)で、映画『PLAN 75』を見た。NHKの番組サイトには、

 

超高齢化が進んだ近未来の日本で、75歳以上の高齢者が自らの生死を選択できる制度<プラン75>が施行される。夫と死別した78歳のミチはある日、高齢を理由に仕事を突然解雇され、住む家も失いそうになってしまい、<プラン75>の申請を考えるが…。

 

名優・倍賞千恵子が、制度に翻弄されながらも気丈に生きようとするミチを熱演。監督・脚本を手がけ、これが初の長編映画となった早川千絵は、カンヌ映画祭で特別表彰された。 

 

日本で、75歳以上の高齢者に安楽死が認められたという架空の世界が描かれる。78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は身寄りのない未亡人だが、身体は丈夫だ。ホテルの客室清掃員として働いていたが、高齢を理由に解雇される。次の定職を見つけられず、生活保護にも抵抗のあるミチは、ついにプラン75を申請した…。

 

ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、どうも後味の悪い映画だった。生産年齢人口を超えた老人は、用済みなのか。現役時代には、たくさんの税金を納め、社会保険料もきちんと支払って来たというのに…。

 

この映画を見て、学生時代に読んだ星新一のショートショート「生活維持省」(新潮文庫『ボッコちゃん』所収)を、思い出して憂鬱になった。国民の豊かな生活を維持するため、強制的に「人口制限」をするという恐ろしい世界を描いている。

 

本当は、映画『PERFECT DAYS』を想起すれば良かったのかも知れない。懸命に、前向きに働く初老の清掃作業員の話で、役所広司が好演していた。

 

人生100年時代を迎え、「老後」の時代は長くなった。自分の行く末は、よく考えて見定めたい。

トップ写真は、フリー素材サイト「ぱくたそ」から拝借

 

遠出をするたび、よくお寺に立ち寄って手を合わせる。著名な寺院もあれば、一般的な檀那寺(檀家寺)の場合もある。中には「ぽっくり往生の寺」をうたっているところもある。

 

ふと、「そういえば、以前は『ぽっくり寺参り』のバスツアーもあったな」と思い出した。老人会や自治会が主催し、観光バスを借り切ってぽっくり往生の寺をお参りするというものだ。大手旅行会社が大々的に募集する「ぽっくりツアー」も、あった。しかし最近は聞かなくなったし、ぽっくり寺も閑散としていることが多い。逆に「終活セミナー」をやっているお寺もある。なぜだろう。

 

検索してみると、「終活」(人生の終わりのための活動)は、2010年に「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされ、 2年後の2012年には同賞のトップ10入りを果たしている。私の感覚では、ちょうどこの頃から、「ぽっくり寺参り」が衰退していったように思える。

 

終活の本来の意味や目的は「これまでの人生を振り返りながら人生の最期について考えること」で、「今後をよりよく生きる」という前向きな姿勢であり、いわば突然死を願う「ぽっくり往生」とは、正反対の考え方だ。

 

予防医学や医療技術の進歩により、突然死のリスクは減少している。また緩和ケアや在宅介護の質が向上し、「寝たきりになって家族に迷惑をかける」という心配も、少なくなってきた。

 

また最近では、コロナ禍による「Stay Home」の風潮以降、特に高齢者は外に出かける習慣がなくなってきている。ましてや密閉されたバスに長時間乗ることは、大きなリスク要因と考えられるようになった。それで「ぽっくり寺参り」は、ほぼ完全に終焉してしまったのだろう。

 

メメント・モリ(memento mori 死を忘れるな)には、「人間どうせ死ぬんだから、今の生を楽しめ」という含意もあるそうだ。エンディングノートを書きながら、余生で何ができるかを考えることを、私の楽しみとしたい。

トップ写真は、波多甕井神社の社殿=高取町で

 

NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。一昨日(2026.4.23)掲載されたのは、〈清水湧き出る「薬猟」の地/波多甕井神社(高取町)〉、執筆されたのは同会理事の福原康之さんだった。

 

この神社は高取町で唯一の式内社で、境内には弘法大師が杖で地面を突くと水が湧き出たという「大師井戸」がある。では、全文を以下に紹介する。

 

清水湧き出る「薬猟」の地/波多甕井神社(高取町)

波多甕井(はたみかい)神社は、高取町で唯一、平安時代の法令集「延喜式」に記載された式内大社です。祭神は甕速日命(みかはやひのみこと)ですが、近世の地誌「大和志」には天照大神を祭ると書かれていました。

 

鎮座する地は、古代豪族の波多氏が住む波多郷でした。近くには清水が湧き出る「太師井戸」があり、貴重な水源である「水甕(みずがめ)」として使われてきました。こうしたことが、神社の名につながったと考えられます。

 

『日本書紀』には、推古天皇の時代、毎年5月5日、この地で「薬猟(くすりがり)」が行われていたと記載されています。薬猟とは、冠位に応じた衣服を着た諸臣や女官が鹿の若角や薬草を採取する宮廷行事のことです。

 

高取町では江戸時代末期より売薬業が発展しました。今も製薬業が行われ、薬草の大和当帰(とうき)も栽培されていますが、その源流とも言えそうです。このように、推古天皇ゆかりの地であることから、当社は日本遺産「日本国創成のとき~飛鳥を翔(かけ)た女性たち~」の構成文化財となっています。

 

この地域は古くから開けており、当社の東方2㌔には古墳時代の清水谷遺跡があります。ここからは、オンドル(床暖房)を備えた渡来人の住居跡が出土しました。(奈良まほろばソムリエの会理事 福原康之)

 

(住 所)高取町羽内235

(祭 神)甕速日命

(交 通)近鉄市尾駅から徒歩約20分

(拝 観)境内自由

(駐車場)なし

(電 話)なし