遠方だったので車で向かったので当然アルコールは飲めない。
粋な一人寿司と思ったのが、緑茶で食す寿司の物足りないこと。
そこは日頃からエイジングにこだわった握りだが、三が日ということもあって、旧来の江戸前寿司を愉しんで貰おうといつにも増してエイジングが施されていた。
本来ならばアルコールを飲んでいない方が舌や脳は味を鮮明に理解するはずで、実際に締め具合や漬けの味は事細かく味合うことができた。
しかし、そこには美味しさや愉しさよりも味気なさが虚しくも残った。
ワインの世界では食事とワインを合わせることをマリアージュとかペアリングと言うが、寿司にもそれは当然あると思う。
元々生魚が食べれなかった僕は、酒の味と同時に魚介類の味を知った。
では酒は単に魚介類の生臭さをまやかすためだけのものだろうか?
いや、そんなこともない。
確実に寿司に合う酒は存在し、日本酒の原材料である米が寿司のシャリと親和性がないはずがない。
プラスとマイナスをゼロにするための酒であればペアリングとは言えないが、プラスとマイナスをプラスに変えられればペアリングと言えるだろう。
そこで僕は猛烈な虚脱感を覚えた。
新年から酒を辞めてしまったら、寿司は食べれないではないか・・・と。
舌先で感じ取る味覚は20%とも言われ、半分は嗅覚、あとはその場の雰囲気やその他の五感と言われている。
愉しい酒は確かに食事も美味くする。
そんなことに悩みながら新年を過ごした。
何かを得ようとする時は、必ず何かを失う事なのかもしれない。
僕のblogは2ちゃんねらーとの親和性が高いことから、iqの低い方々のためにもコメントを全承認することを公開してきたが、久々に目を通すとやはり頭の悪い方々の意味不明なコメントに埋め尽くされていてそれはそれで笑えたが、何か聞きたいこと、言いたいことがあればTwitterにツイートして頂ければ可能な限りお答えしますよ。
Twitterのやり方がわかる人限定だけどね。笑
どんな人間にも誤解はあるし、全ての人に理解されようとは思わない。
だからblogのコメントもガキンチョの落書きくらいに見過ごしているが、まともに質問ができるならもっと教えてあげますよ。
皆さんが知らず、興味のあることを。
それでは皆さん本年も良いお年をお過ごし下さいませ。