「おっぱい」と言う響きに、柔らかな母性を感じる。

「胸・バスト・乳房」と呼べば、単一的な人間の部位の名称にしか聞こえない。

けれど、それを「おっぱい」と呼ぶことで温もりある命が宿る。

 

かつて、僕らが猿だった時代。

みんな木々の上で手と脚と尻尾を上手に使い生きていた。

大地に降り立つ際は、四足歩行で移動した。

 

四足歩行の時、メス達はオスにお尻を見せて生殖を促した。

視線の先にお尻があったからだ。

 

やがて猿だった者が知恵をつけ、二足歩行へ移行する。

すると目線の位置が高くなった。

面白いもので、今度はお尻を胸の位置に擬似的に作るようになった。

それが「おっぱい」の膨らみだった。

 

そう、だからおっぱいはお尻の形をしている。

「第二のお尻期」が到来したのだ。

 

それから数万年。

人間の男達は今日もおっぱいを求めている。

性的なことだけでは決してない。

女性が生まれくる子供に健康なミルクを与えられるか否かさえ本能で感じている。

 

話は飛ぶが、子供は乳離れの際におしゃぶりを咥える。

大人になってもおしゃぶりを咥えてる者は見かけない。

しかし、それと似たようなものが存在する。

タバコである。

 

子供の頃に母の乳房を吸い、落ち着きを得た赤子時代。

その乳首と似た形をしたものを咥えることでストレスを解放しているのだ。

(だからタバコの太さは乳首大だと僕は予想している)

 

さらに「おっぱい」の語源を調べてみた。

1.「ををうまい(おおうまい)」が約まったとする説。

2.「お腹一杯」の「いっぱい」が転じたとする説。

3.古代朝鮮語で「吸うもの」を意味する「パイ」からとする説。

 

改めて冷静におっぱいをイメージしてみる。

肌の膨らみに、ポクリと乳首があるだけ。

だがそこに人は安らぎ、魅せられ、翻弄され。

泣きすがるよう抱かれる。

 

たかがおっぱい。

されどおっぱい。

 

もし僕が死んだなら。

おっぱいでいっぱいの天国がいい。

おっぱいのベッドに、おっぱいの枕。

おっぱいのバスタブに、おっぱいの家。

楽園である。

 

誰か「おっぱいランド」なるテーマパークを作ってくれないか。

イヤラシイ意味でなく、癒しのリゾート地として。

人気出ると思うんだよなぁ。

まぁ、倫理観ギリギリの施設にはなるけれど…。