ある問題児と言われる男の子がホームルームの時間、女の子にバケツで水をかけた。

驚いた先生は、とんでもない奴だと思い彼を叱った。
理由を聞いても答えない。
彼は先生から見放され、手に負えない子だと皆から思われた。
 
数日経ち、女の子の親から先生あてに電話が入る。
受話器を置き、その先生は呆然とする。
内容はこうだった。
 
女の子はホームルームの時間、おしっこが我慢できずお漏らしをしてしまったらしい。
それに気づいた少年は、無言で立ち上がりバケツに水を汲んだ。
そして、彼女に水を浴びせた。
理由を聞かれても答えなかったのは、彼女を守るためだったのだ。
 
「悪い」とは何だろう?
一つの側面から見たら悪でも、反対から見たら理由がある。
それなりの正義がある。
 
僕らはニュースやネットで、善悪を感じている。
知りもしない、話したこともない人間の善悪を判断している。
そう思わされている。
 
作り手は受け手側に「どう感じさせたいか」を前もって決めている。
それがよくわかる面白い場面を現実に見た。
 
ある日、僕が街を散歩しているとテレビ局だろうか街頭インタビューをしていた。
「コロナ禍をどう感じてますか?」と道ゆく人に聞いている。
僕は近くでそれを眺めていた。
 
すると、マイクを持ったインタビュアーが電話を取り出し話しはじめた。
相手はディレクターだろうか、こんな話をしている。
「どんな言葉を撮ればいいですか?あぁ、そうですか、それなら幾つか撮れてます」
 
このやりとり、異常に感じないだろうか。
もう答えは出ているのだ。
ニュースとは事実を事実のまま伝えるのが役割だ。
しかし、望みのインタビュー映像しか使わないと言うのはおかしい。
情報操作じゃないだろうか。
 
僕たちは、様々な印象操作をされている。
歌を作り、舞台に立ち、観せる仕事だからこそ僕は匂いに敏感だ。
同じ作り手のズルさを知っている。
 
あまり自分の知識を過信してはいけない。
実際に体験したことから、"わかること"が大事だと思う。
ましてや善悪など、情報だけで判断すると痛い目を見る。
必ず画面の向こうには作り手がいるのだ。
 
何を信じたらいいかわからない?
けれど、それが普通。
初めて食べたリンゴが酸っぱくて、世界の全てのリンゴが酸っぱいと思いこむのと同じ。
一つの側面だけ見て、わかったような顔をするほうが危険だ。
 
複雑に絡み合った世界。
そこに善も悪もない。
ただ、それぞれの正しさがあるだけなのだから。