冒険とは、失敗の別名。

リスクのない旅などなく。
傷つくことのない旅などない。
迷い、つまずき、再び歩き出す。
それが冒険の旅である。
 
昔の人は、野草を口にした。
毒かどうかなんてわかりもしないで。
火で焼いたらどうか。
水に浸したらどうか。
乾燥させたらどうか。
時間を置いたらどうか。
失敗の繰り返しの中から、食べられる物、食べられぬものを振り分けた。
 
現代の僕らの皿の上に並ぶものを見るといい。
人類が誕生し、過ちの繰り返しでよりすぐられた経験と知恵の結晶だ。
先人達の命の結晶だ。
 
僕らは今、過ちをしないように生きている。
いや、過ちを犯せないようにできている。
傷を負わぬよう、病気をしないよう、死なぬよう。
それはまさに過去からすれば理想郷、天国である。
しかし、なぜか先人達より心が醜くゆがんで見えるのは僕だけだろうか。
 
満足とはなんだろう?
生きている実感とはなんだろう?
 
それは、もしかしたら痛みかもしれない。
過ちを自分で理解し、工夫し、自分で正解を勝ち取る過程かもしれない。
それが命が喜ぶことかもしれない。
 
今の時代に冒険はあるのか?
「未開の地」でなくていい。
誰も行ったことのない場所なんかじゃなくていい。
 
「自分のまだ知らない自分に会いたい」
その感情こそがまさしく、冒険ではあるまいか。
 
過ちを怖がらず、自分の直感を信じ歩こう。
堂々と失敗をしにゆこう。
間違いの中から、正解を見つけ出すんだ。
 
自分の知らない自分。
それこそが地球に残された未開の地。
冒険の旅はいつだって目の前に広がっている。