コンサートや打ち合わせで外食する機会がある。

ファミレスから、ちょっと敷居の高い高級店まで。
そんな数々のお店を訪れる際、必ず気になるポイントがある。
それはトイレの雰囲気。
 
感じの良いお店は、だいたいトイレが綺麗だ。
アメニティーグッズが整っていたり、または何も並んでなくとも清潔感がある。
しかし、たまにお店のせいでなく、使用者によって汚されてしまった形跡を目撃する。
 
「スタッフが綺麗にしたんだろうけど…こりゃヤバイだろ」
言葉は差し控えるが、汚物のお土産が残っていたり、こぼれていたり大変な惨劇。
せっかくの良い気持ちもトイレでげんなりする場合がたまにある。
 
そんな時、ふと小さな葛藤が毎回起こる。
「これ…俺が綺麗に拭こうかな」と。
気持ちが決まると行動は早い。
トイレットペーパーをクルッと手にとり、便器を拭き始める。
 
もう、汚いだとか何だとか言っていられない。
正直、「俺がこれ汚したって、後の人に思われたくもないしな…」と言う護身の気持ちもあるっちゃある。
面白いことに、一箇所綺麗にすると他の場所も気になるものだ。
余計なお世話であらゆる所を拭きとり、水気を取る。
スタッフ以上の頑張りで、トイレ清掃を完了し扉を開ける。
待っていた人に「どうぞ!」と朗らかに声をかけたくなるくらいだ。
 
しかしよく言うではないか、「トイレを掃除してると幸せが来る」と。
なんだか昔はよくわからなかったが、今なら納得できる。
終わった後の自分の気持ちが違うのだ。
 
便器に顔を近づけて、せっせと磨く。
いつも「触りたくないな」と思う箇所を丹念に磨く。
なぜだろう、"汚い"と言われるものが"澄んだ心"の入り口となっている。
不思議なものだ。
 
最後に下品なギャグで締めたくはないが、やはりこれは言わなきゃならない。
「"ウン"なだけに"運"がつく!」
笑えないが、妙に的を得ている気はしないか。