命は儚い。
今まで踊るように躍動していた命も、屍になり動かなくなる。
悲しみより虚しさが死には先行する。
あれは小学生の頃か、親戚がウサギを飼っていた。
ピョンピョン跳んでは、餌を鼻をピクピク動かし食べていた。
ピンと張った耳、丸々とした体と毛並み。
そして触れるとじんわり温かな体温があった。
ある日、そのウサギが死んでしまった。
夏のせいか、その肉体にはすぐ蝿が集り、腹には蛆がわいていた。
叔母はそれを寺の紫陽花の下に埋めた。
持ってきた小さなスコップで何度も土を掘り、そっと身を置いた。
訳もわからず手を合わせ「天国でも幸せに」と祈った。
それ以来、紫陽花を見ると美しさと共に命の儚さを覚える。
命は一時の夢なのか。
脈打つ鼓動が止まった瞬間、それは単なるモノになる。
燃えるように生きたいと思う。
安価な幸せにすがらず、一度の人生を駆け抜けたいと思う。
死は悲しいものではない、虚しいものなのだ。
あの紫陽花は今年も綺麗に咲いているだろうか。
目立たぬ寺の脇に咲いた花。
命の儚さを知った夏。