北朝鮮と日本の自称戦後民主主義者 1 | 気になる映画とドラマノート

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小田 実 「北朝鮮の人びと」昭和53年2月 潮出版社

 


 

 この本のあとがきには、「北朝鮮」には、「」つきで、韓国は「」をつけなかった。

 

と書いていて、その理由は、北朝鮮という略称のほうはふさわしくないからなのだと書いている。韓国では、北朝鮮とは言わず、北韓という。「北朝鮮」と日本が言うのは、それでも「北韓」とは言わないだけ、北に気をつかったほうかもしれない。

 


 

 小田実は、では、どんな略称ならいいのか、を書いてはいない。

 


 

 この本を読むと小田実がいかに低能だったのか、あらためて確認できる。

 

 というのも、小田実は、北朝鮮のひとは、アクマでもなければ偉人でもない、という。

 

 

 

 当たり前すぎて、ばかばかしくなる。どんな国の人びとでも、アクマでもなければ偉人でもないのは、当たり前だが、北朝鮮の支配層はアクマに近いのだ。

 

 小田実は、北朝鮮の評判が悪いのは、支配者の酷薄無残な点なのに、人びとのことに話をずらしている。

 


 

 小田実の馬鹿げた考えは枚挙にいとまがない。

 


 

 日本の軍隊を小田は蛇蝎のごとく嫌うくせに、北朝鮮の軍隊は、「こんな開けた軍隊は世界にちょっと類例がないのではないか」と書いている。246ページ

 


 

 「人民軍」というのが、「軍隊の成員は人民そのものであって、ということだろう」と絶賛している。ならば、日本の自衛隊は、「名のとおり、自衛に限る」という事だろう、と褒めそうなところだが、小田実はもちろん、そうは思わない。

 


 

 わたしは、むかし、小田実に質問したことがある。その時の、小田のごまかし方をわたしに思い出させる、小田特有のはぐらかし方をほうふつさせるエピソードを小田が書いている。

 


 

 金日成の後継者が金正日という息子になった事について、小田実は、「その件について「北朝鮮」政府は公式になにも言っていないのだから、議論はそれからのことにしてもよいのではないか」とわけのわからぬごまかしを言う。

 


 

 小田は、政治のトップを世襲で引き継ぐことの不当を問題にするのは、「せっかち」だという。小田実の阿呆なところだ。せっかちもへちまもあるまい。

 


 

 それにしても、小田実のこの文章を読んで、いささかぎょっとしたのは、小田という人は、議論の場でしゃべる時、書く文体を活かしてしゃべっていたこと。書く時、議論の場でしゃべるしゃべり方をそのまま書いていたんだな、とわかったことだ。

 


 

 258ページ「息子を後継者とすることに対する他国人の無責任な批判」と小田は書く。

 


 

 260ページ「そこでの社会保障の見事さは、「北朝鮮」にかぎらず社会主義国全体に共通して存在することだ」・・・こういう馬鹿げたことを、昭和53年に、市民主義者は書いていたのだ。

 


 


 

  263ページには、「北朝鮮の生活水準は、中国のそれのおよそ二倍であろう」と、まったくいらぬホラを言っている。

 


 

 265ページ「北朝鮮は、少なくとも、自主独立、平等、飢えの問題を自分なりのやり方でかなりのところまで解決している社会だった。」と書いている。犯罪的なウソではないか。本人が本当だと思っているとしたら、あまりにはた迷惑なアホだろう

 

 小田は、北朝鮮には、外国の軍隊は駐留していないが、日本には、米軍基地があるという。なに、同じなのである。紛争がおきれば、中国が介入するのだから。

 


 

 こういう市民主義者で大江健三郎の盟友、小田実の著作がいつまでも、全国各地の図書館ですぐに手

 

に取れる場所に置かれることを願ってやまない。

 


 

 そうか、市民主義者って、バカだったんだ、と読めばわかるから。

 


 

 小田実は「なんでも見てやろう」というわけで「北朝鮮」の風呂の事情を調べる。

 

 「冬には、一週間に2日、お湯が出る。夏には出ない。」

 

 日本でも、風呂の無い家は、昭和53年には、いくらもあった。

 

 しかし、風呂があるのに、お湯が出ないというのは、おかしいとわたしは思う。

 

 これを小田実は、日本人はむやみやたらに風呂に入りたがる。アメリカ人はきちがいみたいに、シャワーをあびたがる、と書く。バカか?

 


 

  「そのあと私と娘はソウル随一の繁華街明洞にへ行った。人びとがにぎやかにひしめきあって歩く中、どこかの労動組合が路上いっぱいに座り込んで集会を開いている。声高の演説と労働歌とシュプレヒコールで集会は気勢をあげたが、横には静かに賛美歌を歌う男女の一団がいる。さらにもうひとつ向こうには、ピエロ姿で踊る若い男。彼の横を制服姿の女子高生がはしゃぎ合いながらすり抜ける。めいめいがめいめいに人にかまわず自由におのれがよしとし、信じ欲することをやっている。

 


 

 「これが韓国だよ」とわたしはこうした自由に乏しい日本から来て呆気に取られたようにその自由な眺めに目を見張っている娘にいい、」

 


 

※朝日新聞2000年から2年間連載 単行本大月書店 「小田実のアジア紀行 韓国編」

 


 

 小田実には、「なんでも見て歩こう」という精神で、小田実は、韓国の明洞の街頭風景を見て、日本は「こうした自由に乏しい日本」と考えた。

 


 

「韓国はやっとまともないい国になった。ゆたかな国にもなった。いまこれ以上欲しいものはない。」(小田実は、街で知り合った元空軍レーダー部隊員で、31歳の韓国人がそう言ったという。

 


 

 馬鹿馬鹿しい薄っぺらな認識を示して、おおまじめに朝日新聞の読者に読ませていた。

 


 

 カザフスタンの章で小田実はまことに奇妙な歴史認識を提示している。

 

 カザフ共和国には、ドイツ人が30万人、朝鮮人が10万人住んでいて、ドイツ人は、「先進国」(ドイツ)からの移民を求めた帝政ロシアの政策に応じて移住したのだが、朝鮮人は多くが日本の支配を逃れて来た人たちだ。と書いている。

 


 

 (「先進国」(ドイツ)からの移民を求めた帝政ロシアの政策に応じて移住)?

 


 

 浅学なわたしは、確固たる反論をする知識を持たないが、帝政ロシアがドイツの民衆に、先進地域のドイツ人よ、どうぞ移民してくださいな」などという論法がありうるだろうか?小田実は、111ページには、帝政ロシアがカザフ人の土地を侵略して奪って、植民地を作り、そこに、当時の先進国ドイツから移民を招いた、と書いている。(ドイツから移民が来た理由は、おかしい)

 


 

 小田実は、沿海州、シベリアの朝鮮人をスターリンがカザフに強制移住させたのだが、沿海州、シベリアになぜ、朝鮮人がいたか、その理由は、日本支配から逃れたからだという。

 


 

 そして、カザフに強制移住させられた朝鮮人には、抗日独立運動に参加した朝鮮人が含まれる、と小田は言う。

 


 

 ものすごいこじつけだ。

 


 

104ページ

 

 革命ソ連は、カザフスタンを植民地支配した。(と、小田)

 


 

 その植民地支配は、小田実が調べたところによると、農業集団化の強行により、遊牧民のカザフ人の羊や牛を殺してまで集団農業を強制したので、220万人が死んだ。

 


 

 そして、朝鮮人に対しては、民族学校を閉鎖し、朝鮮語の教育を禁止し、出版物を破棄した。

 


 

 ※小田実は、日本の朝鮮統治でハングルの推奨をして、農業を生産を高めて、、人口が増えたことは、どう考えているのだろうか。

 


 

 小田実は、「レーニンがひきいた革命ソ連は、世界の抑圧された民族の解放をうたいあげた社会主義革命」を出発としながら、「ソ連は中央アジアを植民地として保持し続けた」そしてこれは、「日本が大東亜共栄圏を掲げて、朝鮮、台湾、ミクロネシアを植民地として保持し続けた」ことに重なる、という。

 


 

 ※この小田の歴史認識は間違っている。

 

 ソ連の最初の目標は、全世界の王制、帝政、皇室の廃止。大地主、資本の私有と財閥の解体。資本の国有化。金融資本と株式制度の廃止。を、目標とした。

 


 

 日本の大東亜共栄圏とは、ソ連のようなだいそれた目標はまるでなかった。

 

 治安維持法とは、むしろ、上記のようなソ連の掲げた目標・・・まるでオウム真理教のような大法螺話を信じる日本共産党を抑えるための法律だった。

 


 

 日本は、全世界はもちろんアジア全域を天皇制にしたいと思ったわけではない。

 

 実際には、朝鮮を独立させ、自立させて、独り立ちで、中国からも、ロシアからも支配されない国になることを望んで、再三、支援した。それでも、中国、ロシア、日本に、財政破綻のツケを払わせて、延命し続け、自立しようとしなかったのが、朝鮮だった。

 


 

 台湾については、現在、台湾の教科書では、日本がいかに、台湾の人びとの戦後の発展に寄与する教育、技術、インフラを残していったか。を子どもたちに教えていることを見ればわかる。ソ連のように、他国の政治形態、文化形態を根本から、根こそぎ掘り崩してしまうロシアマルクス主義とは、日本の明治大正期の日本人が考えたことは本質的に異なる。 それは、イギリス、アメリカ、フランスのインド、東南アジア全域に対する支配をまず日本がはねのけ、インド、東南アジアの人びとも白人の支配から脱しようという悲願が含まれていた。ソ連のレーニンの世界共産革命は純真だったかもしれないが、それはあまりに、まちがった革命理念だった。それは、結果として、共産主義革命の過程で、中国、カンボジアなどで4000万人とも、6000万人とも言われる餓死者、地主の処刑を生んだ。

 


 

 小田実は、ソ連の植民地支配と日本の植民地をいっしょくたにして、その違いを見極めようともしない横着をしている。

 


 

 日本の歴史の、そこに含まれた錯誤よりも、ソ連共産主義のほうがケタ違いに悪質だったことに小田は気づかない。

 


 

したがって、ソ連の中央アジアへの植民地支配を書き立てたその舌の根もかわかぬうちに、カザフスタンからの旅行のあと、中国・北京に行くと、124ページに、社会主義中国は、崔氏のような「人民」が支えている。と、一党独裁の中国に親和感を持って、ケロッとしている。

 


 

 小田実は、「革命ソ連は、帝政ロシアよりもさらに過酷だった。」

 

 「中央アジアは帝政ロシアをひきついで革命ソ連が植民地た支配をつづけた土地だ。」と、ここまで書きながら、中国については、「ウィグル、チベット、満州は帝政清國を革命中国が植民地支配を続け、台湾に清國以来の属国化を目論んでいる」とは思いつけないのだ。

 


 

 そして、日本の自衛隊は違憲だと、小田実は言うが、韓国については、「韓国はもはや日本に頼って生きる貧しい国ではないし、政治的に問題のある軍事政権の国でもない」と持ち上げる。しかし、日本は「国軍」がないし、自衛隊を国軍と呼べば、マスコミが大騒ぎする国だが、朝鮮民族の二つの国には、国軍があり、一方は、核を開発しつつあることを誇示している。小田実には、日本の自衛隊と米軍基地は問題があるように見え、韓国の国軍と在韓米軍基地のある体制は、「 政治的に問題のある軍事政権の国でもない」と書いて、ほめあげる。小田のいつもの論点のすり替えで、「軍事政権」ではないから、よいが、日本の自衛隊は違憲だから大問題だが、韓国の徴兵制はなんでもないのが、小田実だ。

 


 

 呆れるのは、小田実は、日本の教科書が、「一方を他方の優位に置く歴史、人間認識なのだ」とホラ話を言う。

 


 

 日本の教科書は、アジアに対する侵略への反省と謝罪意識に満ちているのであり、小田実は、韓国の教科書を読んで、日本の教科書とまちがえているのでなかろうか。

 


 

 韓国の教科書では、日本の起源は、皆朝鮮文化なのだから、一方を他方の優位に置く歴史、人間認識とは、韓国のほうこそ、ふさわしい。81ページ

 


 

 ソ連には、口をきわめてののしっていた小田実は、同じ本の124ページで、「社会主義」中国は、崔氏のような「人民」が支えている。と絶賛する。2002年のことだ。

 


 


 

 小田実は、1984年に岩波書店「毛沢東」を発表(半年、北京に滞在)。

 

 1987年に「中国体感大観」を発表している。

 


 

 小田の著書は、当時の日本の大学生、教師を勘違いの歴史に導いて、役割を終えると、今では東京23区の図書館でさえ、簡単には、借り出しできないほど、現存する図書資料が散逸してしまっている。そのため、1988年前後、小田実、大江健三郎、などのホラ話によって、現在のマスメディアのスタッフが学生時代になにを読み、いまに至って中国に鈍感なのかを確認することは、容易ではないのだ。

 


 

 (小田実の「私と朝鮮」という本は、事実上、中央区、千代田区、港区、渋谷区の図書館に足を運ばなければ、閲覧できない。)

 


 

 小田実の朝日新聞連載大月書店発行「小田実のアジア紀行」には、いまいましいウソが書いてある。

 


 

 125ページに、「侵略日本軍第731部隊遺跡」を小田実は訪ねる。

 

 そして、例によって、中国共産党のプロパガンダを丸呑みにうけいれて、次のように書く。

 

「細菌戦のための実験、製造が行なわれて、「マルタ」と呼ばれた中国人、蒙古人、朝鮮人ソビエト人が三千人余が「生体実験」「生体解剖」で殺された。」と。

 


 

 しかし、ちょっと考えればわかるだろう。ひとりの遺体を解剖するだけで、仮にひっきりなしに2日に一回のペースで解剖しても、三千人を「生体解剖で殺す」には、一年に150日として、3千人を生体解剖して殺すには、7年以上かかるではないか。

 


 

 小田実は「731部隊」が当時の満州地域の不衛生な状態を原因とする「腸チフス」「コレラ」の防疫の研究をしていたことを、知らないふりをしてか、ほんとうに、無知なのか、わからないが、「細菌戦のための実験、製造」と、おおまじめに書いている。

 


 

 

 

思わず吹き出したくなるのは、131ページの写真のキャプションで、小田実は、中国の老人が麻雀の卓を公演で囲んでいるのを見て、「この国は社会主義のおかげか、日本でのように、第二、第三のしごとを求めて、走り回らずに見てとれる」と書いている。

 


 

 小田には、日本はなんでも悪く見えて、中国、韓国、北朝鮮はなんでも希望のたねにみえる妄想に陥っている。

 


 

 140ページでは、小田実は、なんとも粗忽な事に、「明治革命」のあと、できあがった近代国家日本は、自らが、アジア各地でアヘン戦争を引き起こした。と、書いている。

 


 

 比喩的に言っても、日清戦争、日露戦争を「アヘン戦争」に似たものだという歴史家はほとんどいない。が、小田実は平気で、日清戦争、日露戦争を「アヘン戦争」に似たものだ、と平気で言う低脳な人間だった。

 


 

 「北朝鮮の人びと」昭和53年2月 潮出版社刊行には、拉致問題を解決しようともしない北朝鮮を小田実が訪問して、北朝鮮は希望に満ちたいい国と、すっかりだまされて、それを小田実のベトナム反戦運動などを通じて、良心的な作家だと信じた学生、教師をだまくらかす文章が満載されている。

 


 

 19ページ

 

 「李おばさんは郵便局員であった。・・・・ご主人はいないので、どうしたのかと聞くと、朝鮮戦争―祖国解放戦争で死んだのだという。」とある。

 


 

 小田実は、朝鮮戦争―祖国解放戦争に、なんの違和感も感じないらしく、なんらコメントしない。

 


 

 21ページ

 

「歴史的に画期的な事を書いておこう。李おばさんの国は税金という、だれが考えだしたのか知らないあのやくたいもない制度をきれいさっぱりとやめてしまっているのだ」

 


 

 と、あぜんとするはしゃぎっぷりだ。

 


 

 ※税金がなくても、国民が飢えて、背が伸びず栄養失調で早死にしている子どもがふえているのが、北朝鮮なのである。

 


 

 25ページ

 

 小田実は、北朝鮮の人びとが夫婦とも働きだというので、「日本の「お嫁さん」は無為徒食、すべては親がかりで、団地のおばさんは、朝から晩までテレビを見ている事」を想起する。

 


 

 これが、日本の平和と護憲のリーダー小田実の日本人観だった。

 


 

 26ページ

 


 

 「おばあさんは、日本が朝鮮を支配していた時代に、文字通り、草を食って生きていたのだが」と書いている。

 


 

 ※日本が朝鮮を貧しくしたように、小田実は思っていたらしい。しかし、実は朝鮮は、日本人朝鮮に関わりを持つ前から、地方では、草を食うほど、飢えていた。だからこそ、東学党の乱という農民一揆が起きた。小田は、まるで豊かな朝鮮を日本が貧困にしたように、順序を逆に、錯覚している。

 


 

 28ページ

 

 「話題をかえて、(おばあさんたちに)昔、日本が支配していた頃に、金日成という名前を知っていたかと訊くと、ふたりとも、知っていたとうなずいた。東に現れたかと思うと、西に出るというような感じだったので、その頃、金日成は「縮地法」をというような魔術まがいの術をすることができる人物だということになっていたのだという。」

 


 

 と、小田実はおおまじめに書いている。

 

 ※実際は、金日成は、伝説の人物で、北朝鮮の金日成は、伝説の人物の名前を、庶民の無知を利用して権威つけるために、名前を騙ったのである。う

 

 そして、朝鮮には、昔から、ホン・ギルドンやチョン・ウチと呼ばれる霊能を持つ勇者貧困農民を助ける義賊としてあらわれるという(快傑ゾロや鞍馬天狗)のような伝説yがあった。この言い伝えを英雄伝説と重ねあわせた。

 

 そして、韓国には、チャン・ヒビンという王の側室、自分が正室になりたいために正室を策略をもちいて、追放して、やがて、その悪事が露見して、死刑になるという物語が人気がある。その逸話には、反チャン・ヒビン派が、チャン・ヒビンの悪女ぶりを、歌や童謡にして民衆に教える、という話がある。

 


 

 日本時代の朝鮮は、実際には、多くの朝鮮の人びとは、ハワイやフィリピンの人びとがアメリカに順応したのと同じ意味で、順応し、フィリピンに独立ゲリラがいたと同じ程度に、両班時代の身分社会を夢みて日本から独立したい勢力はいた。

 


 

 彼らは、三一運動において、チャン・ヒビンの逸話にならって、「独立マンセー」という言葉を歌って、民衆に「独立マンセー」という言葉をやきつけよう、独立の目標をもたせようと涙ぐましく、試みた。(このように、解釈してはじめて、独立していない段階で、なぜ、「マンセー」という祝の言葉を連呼することが流行したか、その謎が解ける。

 


 

 だが、「万国の労働者よ、団結せよ」と念仏を唱えても、社会主義社会に失業がなくなるわけではないように、「独立マンゼー」と言っても、独立した国がまともな国になることを保証できるわけもない。

 


 

 金日成伝説もまた、彼ら少数の反日独立派が、伝説のチョン・ウチやホン・ギルトンのイメージにかさねあわせてつくりあげた、独立精神を、日本に順応して生活に専念して、政治に無関心な庶民への宣伝手段としての物語だった。

 


 

  かれら独立派の悲願は、達成されたのである。

 


 

 よかった、よかった、日本から独立で、きたんだね、と拍手を送ろう。その独立とは、金日成、金正日、金正恩へと続く金王朝の、民族独立だった。

 

 だから、悪い歴史認識を持って、反省しない日本とはお望みとおり、決別してみればいい。そうすれば、日本の製品を輸入して、輸出完成品をつくることもできなくなるし、破綻した北朝鮮を、日本の援助なしに、自前でささえなければならなくなるのだから。

 


 

 34ページ

 

 「農民が布団をこんなにそろえるようになったのは、やはり社会主義の世の中になってからのことだ。韓国の田舎の農民にそれができるだろうかと発言したのは、泊めてもらった協同農場のお百姓さんだ。」と、韓国の農民が聞いたら、あぜんとする事を小田実は書いている。

 


 

 42ページ

 

 小田実は、上野千鶴子や田嶋陽子が読んだら、さぞ、怒るだろうに、「北朝鮮では、食事を作ったり、運んだりするのは、女性で、男性はまったく動かなかった。」

 


 

 「私の個人的感情をいえば、なつかしい。ぜひとも、存在し続けてあれかし、亭主関白」と言っている。

 


 

 ※調子のイイ事を言うな、と言いたくなる。要するに、北朝鮮は、甚だしい、男尊女卑社会がいっこうに抜けないのだ。