真実のチャングム キャッチ22 | 気になる映画とドラマノート

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 東アジア史の宮脇淳子さんは、韓国ドラマはウソだらけ、という。

 しかし、アメリカ映画のインディアンと白人の戦いも、日本の戦後の反戦映画の多くも、ウソだらけでした。もちろん、水戸黄門、暴れん坊将軍、必殺シリーズが時代考証がしっかりしているわけがないのは、だれでも知っています。

 ドラマとは、そういうふうに、時代考証中心に価値評価をするべきものではない。
 では、どういうところを見るか。

 韓国の有名なドラマ、「大長今」・・・これは、長今という名前の女性で、大がついて、偉大なる長今、とでもいう意味らしい。このドラマ、日本の「おしん」が東南アジアから中東諸国まで熱狂的に視聴されたように、東南アジア諸国で多くの人びとに見られたことでは、有名な作品だ。

 この「大長今」。チャングムの誓いは、韓国人の思考の特徴が実によくわかるのである。
 似たようなシーンがあっても、日本人も、たぶん、他の外国人も、絶対、こういう発想はしないな、という場面がえがかれている点で、チャングムの誓い 32話は特筆すべき回だ。
 そう、わたしが、宮脇淳子氏の韓国ドラマの見方に共鳴しないのは、時代考証にばかり着目して、ドラマに見られる韓国人特有の発想に着目しないからだ。

 秀吉の軍のようなさむらいが、済州島を襲う場面がある。

 作品では、倭寇と武士の区別をつけておらず、武士のかっこうをしているのに、倭寇と言っている。これは、視聴者には、「倭寇」という言葉がわかりやすいから、はしょったのだろう。
それは、まあいい。

 おもしろいのは、主人公のチャングムが、武士に脅されて、ケガをした武士を治療したことについて、王宮の官僚が、「売国奴」だと罪に問う。ソレに対する反論が「現在の韓国の親日派糾弾論」に重なっているのである。

 

 親日の嫌疑をかけられたチャングムとは、「北朝鮮から、韓国というのは、指導者パク・チョンヒが親日だし、李承晩は、親日派を温存したではないか、という非難を受けている韓国」の姿そのものだと言っていい。

 ミン・ジョンホは、疑いをかけられたチャングム(韓国)を次のように、弁護する。
 ケガをした倭寇を治療しなければ、(親日行為)、民衆を殺すと言われたから、やむをえなかったのだ、と。

 これは、併合条約に応じたのは、脅されたから、とか、抵抗運動が盛り上がらなかったのは、日本の武断統治がきつかったから、という言い訳と同じである。

 コレに対し、親日派の糾弾の論理は、「倭寇に迎合して、倭寇のケガの治療をしたのは、事実ではないか、」という。

 ミン・ジョンホの反論は続く。
 「あなたに、チャングムを批判する資格があるのか。あなたは、自分が真っ先に逃げたではないか。戦おうとしなかったあなたに、チャングム(親日派)を批判する資格があるのか、」と。

 すると、つぎに、王宮の官僚が言い返す論理がおもしろい。
 「治療して、実際に治したのが、よくない。脅されたから、治療せざるをえなかった、というなら、治療するフリだけ、真似だけすればよかったのだ。」と言う。

 このセリフは、非常に、脚本家として、見事であり、韓国人の特質を言い当てるセリフだ。
 つまり、日韓併合、いわゆる植民地の35年は、脅されたから、迎合したフリをしただけで、本心は違った。それだから、売国ではない、という、こういう論理なのだ。

 日本人なら、こういうひねこびた論法はないのではないか。

 この脚本家は、韓国人の発想法を簡明に表現したという意味では極めて卓越した時代感覚の持ち主だと思える。

 次の場面も、韓国人の非常に特異な国民性を表現している。







 両班の少年が、「風水」の知識(墓や住居の位置と、山河との方角の位置関係に吉、不吉の関係性があるという迷信)をとうとうと、述べるのに対して、チャングムは、まったく、違和感を感じる様子もなく、そうなんだろう、という感じで受け入れている。

 そして、チャングムは、その少年の顔色を見ただけで、少年の「病気」を推論する。

 この場面は、現代人である私達に、非常にけったいな気分をおこさせる。
 というのは、同じ32話の後半で、医術の心得で、患者の病気を見分ける方法として、目を見たり、舌を見る方法がある、という場面があるのに、ここでチャングムは、ただ、顔色を見ただけで、少年の胃腸の状態を治療法までふくめて洞察する。

 風水の知識もデタラメなら、チャングムの医療も、ほんの少しの真実性もなく、まるで、チャングムは不思議の国のアリスのようになっている。

 チャングムが、ところで、どうして、わたしの治療を信用したのですか?

 と、聞くと、普通の発想では、「なんとなく、顔つき、話し方が信用できそうだったから」とでもなりそうなところを、なんとこの少年は、「易占いによって、あの沼の近くで、あなたと出会うとわかっていた」と言うのだ。

 この場面は、日本人は、見過ごしがちだが、実は韓国は、現在でも、占いと風水が極めて強く信じられているのである。たしかに、日本人も、血液型性格やら、星占い、四柱推命などを信じられている。が、それどころではなく、韓国ではこの風水と易占いがものすごく根強く信じられている。

 このことがわからない場合、日本や東南アジアの視聴者には、このエピソードは、なんだかわけがわからないスルーするしかないエピソードになっている。

 しかし、たしかなのは、この作品が、自立した女性、男性優位の社会で、荒波に、もまれながら、勇気を持って生きて、技術を見につけて大成する女性像を描く、という現代的テーマであるのが、間違いないにもかかわらず、この場面で、チャングムが風水や易占いの迷信をまったくなんの違和感もなく、ふーん、そうなんですね~、すごいな~と、受け入れ、少年が、ダメ押しするように、「易の教え」を学びなさい、という言葉に、黙って返事をせず、いや、ともはい、とも答えないで、にかーと笑うところだ。占いを信じているのだ。・・・そのいい加減なこと、易を学んでも、チャングムの医術には、百害あって一利もなかろうに、その事はまったくスルーされているのだ。

ところで、話は変わるが、元朝日新聞の植村隆氏が、安倍首相の訪米にあわせて、ニューヨークで、講演して、慰安婦は事実だから、日本は謝罪すべきだと言ったという。

 この問題は、保守でさえ、本質を明確に捉えている人は少ない。だからこそ、今後も解決は困難だ。

 この問題の本質は、国家は、政府は、「失業者に対して、景気対策がうまくいかず、あなたがたのような失業して苦しんだり、低賃金でつらい境遇になる人が出ることになりました」と謝罪するべきか、という国家の統治責任の問題が含まれている。

 じつは、上記の問題でも、どこかで、政府に謝罪させたい願望が理論的に整理されていないことが、「国家の謝罪」には、常につきまとうのだ。

 慰安婦とは、現在の平和時における世界中に現存する風俗嬢の戦時下の日本の通称に過ぎない。

 アメリカの軍隊映画「キャッチ22」や「地獄の黙示録」を見ても、制度は違っても、兵士相手に風俗嬢は各国につねにいた。

 つまり、わたしたちは、現に交通事故で夫や親が突然死んで、風俗嬢をしている人がいることは、無視して、あたかも、戦時下の風俗は、女性に対する人権侵害であるかのように言う。

 ひどい欺瞞であり、カマトトである。

 そもそも、江戸の吉原から、インド、中国の貧困層の売春まで、「国が謝罪」して解決できるものでも、気が済むものでもあるまい。ティファニーで朝食をの、ホリー・ゴライトリーは、田舎の孤児で、養子が嫌で、高級売春婦になる。

 そして、ほんとうは、失業だって、国の政策の失敗と関わりがるように見えて、だれも、失業の多いことに謝罪せよ、とは言わないし、謝罪してどうなるものとも思わないのが、ふつうだ。

 だが、奇妙なことに、この慰安婦問題だけは、謝罪がふさわしいと信じられているのである。

 もし、戦時売春に謝罪するなら、平和の下での、歌舞伎町や鶯谷や川崎の女たちにも「広義の強制」について、謝罪せねばなるまい。

 また、慰安婦は、韓国人よりも、日本の女性のほうが多かったので、日本の女性に向けて謝罪しなければならなくなる。

 しかしねえ、それをやったら、江戸時代の吉原の花魁から、のちの枕芸者まで、皆、広義の強制で、謝罪すべきということになるんだよねぇ。

 世界でも、そんなことが問題になるのは、日韓くらいじゃないのか。

日本の女性は、女性対男性社会という問題意識を持っているなら、朝日新聞が、日本人慰安婦を無視していることはおかしいと思うべきだし、「民族ナショナリズム」を問題にする人は、朝日新聞が、日本民族の朝鮮民族に対する加害謝罪という民族区分けを固定化していることに注意すべきなのである。

 欧米では、貧困や売春に、国が、謝罪してどうなるもんじゃないという時点で終わるテーマじゃあるまいか。