現代史を考える 19 | 気になる映画とドラマノート

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現代史を考える 19

 

アジア、アフリカの植民地支配は500年続いた。これを日本は、教育しないから、安易にチュニジアなんぞに、観光旅行に行く人がいる。

 



 

 世界中が危ないというのは、植民地時代の余波が長いということでもある。

 

 また、白人世界のユダヤ人差別の余波だ。

 



 

 1939年ころには、インドのネルーは、英国から、独立できるか、と問われると、1970年頃には、可能かもしれない、と答えた。

 



 

 インド人は、日本が、英米、オランダ、ロシアと戦うのを見て、独立に燃えた。

 

 英国は、戦争につぐ戦争を繰り返しながら、アジアに進出した。

 

 1600年、東インド会社設立。マドラス、ボンベイ、カルカッタに進出。

 

 プラッシーの戦い、マイソールの戦い、シーク戦争と戦争により、インド人を屈服させた。

 



 

 これに対して、日本は朝鮮と戦争をしたわけではなく、ひたすら、朝鮮政府の財政支援を行い、教育支援を行った果てに、併合した。そして、日本国民に過重な税金を課して、朝鮮を一人前の地域にしようと努力した。

 

 驚くのは、人は、案外、文章を実際には、読まないのである。韓国民団の青年部が刊行した本で、在日一世の証言も、カン・サンジュン聖学院大學学長の編集した在日一世の記憶という本も、実際には、日本の親切な教師に学校や仕事を世話になった話で満ちている。

 

 苦労したと言っても、当時の日本の庶民も苦労した。

 



 

 1877年英国のビクトリア女王はインド皇帝になった。

 

 インドの子どもたちは、日本の東郷元帥や乃木大将の写真をほしがった。

 

 それができないので、日本の製品を飾った。

 



 

 日本の宮崎滔天は、孫文に中国革命を期待したが、それは、万里の長城の内側で、漢民族の国を自立することへの期待だった。これは、裏切られて、孫文の中国国民党は、ウィグル、満州、北部モンゴル、チベットを制覇しようとした。

 



 

 世界に対してはじめて、人種差別撤廃を提案したのは、日本であり、他のどのアジアの国も、提案さえできなかった。これは、アメリカによって、拒否された。

 



 

 インドネシアで、日本軍が何をしたかというと、オランダ語と英語を禁止した。おかげで彼らは、インドネシア語を公用語とすることができるようになった。

 



 

 ※また、日本は、韓国国民にハングルを普及させた。

 

 インドネシア青年に軍事訓練を施したが、これは、インドネシア青年に祖国独立の気概忍耐、規律心を与えた。侵略した国が、支配したい国の青年に規律自主性を与えるわけがない。こういう日本の態度は、戦後にも、流れていて、なんだかんだ言っても、在日韓国人、中国人で、日本の医学会の理事長や大學の教授は多い。

 



 

 オランダ人を一掃して、インドネシア人自身は責任ある立場、職業についた。

 

 以上の実態に対して、日本はいつまでも、アジアに迷惑をかけたと言い続けている。

 



 

 先進国同士では、戦争が不可能なのは、日本を攻撃すれば、ヨーロッパも、アメリカも共倒れで、大不況に陥るからで、ならば、大事なのは、「言論の自由の無い国」「歴史を偽造する国」「普通選挙の不正の多い国」の支配者を増長させないという配慮だ。

 

 ドイツのヒトラーがユダヤ人を弾圧する論理には、第一次世界大戦のドイツの敗北はユダヤ人のせいだ、というのがあった。すくなくとも、日本は、政治の失敗を国内の外国人のせいにしたことがない。

 



 

 それが、韓国、北朝鮮、中国の支配層なのだ。

 

 そして、アメリカ、英国の自国のアジア、アフリカに対する軍事侵略を反省して、日本を理解する人々と協調して、歴史を修正することが必要だ。

 

 日本も、アメリカも、出版物、言論の森には、真実に至る細い道があるが、中国、韓国、北朝鮮には、これがない。

 



 

 先進国の言論の自由度、普通選挙の内実を高めて行けばよい。

 

 言論の自由、普通選挙の内実、歴史のウソを拒絶しない政府とは、距離を置くべきだ。

 

 ※ただし、エンターティメントの世界はまったく別だ。問題は、政府の性格だ。

 

 

 

 なぜ普通選挙が極めて重要かというと、民衆が戦争をのぞまないという意思は、普通選挙によって、十分、現実に反映させることができるからだ。デモなんぞは、まったく必要ない。

 



 

 民主化とは、「国民のためになることをする」ということではなく、「国民の意思を反映させる制度整備をするということ」以外のなにものでもない。

 



 

 だからこそ、国民が自国を防衛したいと思う民主国では、戦争が起きる。民主国家だから、戦争を否定するということはない。

 



 

 国民が、ある特定の戦争を否定して、それを普通選挙で議会に反映させる制度が整備されていれば、戦争は起きない。国民がその戦争はやむをえないという場合は、選挙で肯定するので、民主イコール平和とはいえない。

 



 

 カンボジアのシアヌーク殿下が北朝鮮に、金日成宮殿を建ててあげた。

 

 そして、北朝鮮と協力して、カンボジアのフランスからの独立の過程を映画化した。

 

 朝鮮人民軍の兵士たちが、エキストラ、俳優になって、日本軍人を演じて、日本軍がカンボジアを支援して独立させたのだという映画を平壌の撮影所で作った。

 



 

 日露戦争は、アメリカのユダヤ人ジョセフ・シフが戦費を出した。

 

 それから、日露戦争後に、日本が満州の権益を得ると、アメリカの鉄道王ハリマンが、共同開発を持ちかけた。日本はいったんこれを承諾してから、後で拒否して恨まれる。

 



 

 ゴッドファーザーのストーリーみたいなものだ。いったん、のんで拒否して、恨まれる。

 



 

 インドのネルーがインドの独立は、自分が死んで後の、1970年頃かもしれないと考えていた頃、二万人のユダヤ難民が満州国境に逃れてきた。

 



 

 これをこの時の関東軍参謀長が東條英機で、彼がユダヤ人の入国を許可した。

 

 東條英機は彼の判断で、いいことも悪いこともした。悪いことばかりではなかったのは、確実だ。

 



 

 ドナルド・キーンは、太平洋戦線の情報将校で、日本兵の手紙を読んでいた。

 

 彼はアメリカ人よりも日本兵のほうが、気高い心を持っていると考えた。

 



 

 逆に、日本の労働組合の婦人部長が退職後、本を書いたりすると、たいてい、「日本の民族の愚昧性、残虐性」と言い立てる。平和な時代でも、

 

強姦犯、詐欺師、強盗殺人犯、極道やくざ根性の男は、日本にもいる。しかし、外国と比べれば少ないのである。が、左翼の眼には、日本が一等、残虐な行動をしたように考える。が、軍人にもチンピラはいたろう。卑怯卑劣な人間は日本人にもいる。その程度でしかない。