慰安婦問題に思う | 気になる映画とドラマノート

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慰安婦問題は、まぎれもなく、中国、韓国、そして、在米中国人、在米韓国人、さらには、在米韓国人と在米中国人の説得に応じたアメリカ人が、「日本は、世界でも稀に見る、性道徳にだらしのない軍隊」だった、という非難である。そこでは、確実に、現在ただいまの中国、韓国、米国三国における女性の人権の状況が不問に付されて語られている。

 日本の左翼にいわせれば、これは、他人が泥棒をしたからといって、自分もしていいということにならない、ということになるが、しかし、そのような言説は、一見、正義にかなうようでいて、実は、中国、韓国、米国における棄民的状況に呻吟している人々を、見捨てていることになるのである。また、北朝鮮、中国、韓国にはなはだしく存在する人権侵害を非難しないで、日本の慰安婦に最大級の非難を集中することで、北朝鮮、中国の国内に存在する誘拐、人身売買に対する国際的非難を逸らして、中国、北朝鮮当局の人権軽視の政策を結果的に擁護することになっている。

 また、韓国国内に多発するレイプ、DV、幼児虐待は、日本のそれの比ではないほど、多発しているのであるが、韓国人が、日本の70年も前の出来事を誇張して、敵視し、運動化することによって、国内の女性の人権問題から目を逸らす効果を果たしてしまっているのである。

 韓国の街で、韓国人は礼儀ただしいかと問えば、かならず、「韓国は東方礼儀の国」だから、と自信を持って答えるだろう。ところが、自己イメージはそうであっても、事実は、韓国は性犯罪と売春輸出大国として、韓国マスコミ自身が自認する現状なのである。
 慰安婦被害の20万人説を信じる韓国人、日本人がいるならば、2000年以降、韓国では、韓国人女性が先進各国に少なくとも10万人の売春婦が出稼ぎに行っており、「政府は苦慮している」というのが、韓国の定説なのであるから、まさか、それが日本のせいであるわけもなく、それなら、戦時中、いたいけな花のような乙女(おとめ)だった韓国人は、日本からの光復後70年かけて、すれっからしになったことを意味する。

 事実、日本で「売春防止法」と言うところを、韓国では、「倫落防止法」と言っている。日本の「売春」という言葉には、「買う、売る」という金銭が「からむ問題」が示唆されているが、韓国では、「不倫」の「倫」。「倫理」の「倫」。「堕落」「頽落(たいらく)」の「落」。「転落」の「落 」「落ちぶれる」の「落」で、「「倫落」という言葉で、性的商売を否定するに、「道徳問題」を強調している。

 一見、正しいようだが、実は、これは、貧困によって、身をまかせることをしている女性の経済的貧困よりも、「心の落ちぶれ、堕落・頽落・努力不足・恥を知らない所業」というように、倫理的非難を含んでいるのである。

 つまり、韓国では、売春は、そうしたことをする女性は、1.道徳的非難の対象であるか、2.さもなければ、たとえば、強権の日本人、あさましい不道徳な日本人の被害者、と言ったような世間が納得してくれる理由なしには、社会的に倫理的な烙印をおされてしまうのである。

 日本の女性がそうした立場になった場合、「恥」ではあるが、じつは、実際には、蔑まれることは言うほどない。ところが、韓国では、端的に蔑みの対象になる。その地獄のような心情が、戦中については、日本のせいだと思えるのならば、韓国人に蔑まれる原因を作ったのが、日本だというわけで、恨み骨髄ということになる。


 日本の場合、そうした事柄について、生きるためには、しかたがなかったんだと、知っていても知らないふりをする人は、かなりの数いることは、国民性として信じてよい。

 だが、ほんとうは、タイにも、フィリピンにも、インドにも、売春が焼結を極めているのが、日本軍国主義となんら関係があるわけもなく、むしろ、韓国人の小金持ちが、アジアのフィリピン、タイ、ベトナムなどの孤児の父親であることが周知の事実であるように、アジアの貧困国の女性の加害者は、まぎれもなく、韓国人男性が、いまや主役であり、国連人権員会は、これをこそ、現在ただいまの国際的性犯罪として、糾弾して、このような鬼畜の所業にストップをかけるべきなのだが、日本の左翼女性は東南アジアの女性を見捨てて、日本の戦時中のシモネタの反省を迫ってやまない。

わたしは、松井やより,下村満子やその他無数の朝日新聞、岩波系の人権派の記者たちの、まるで世界の中で、日本軍国主義下の性風俗の「広義強制性」が世界の普遍的大問題だという態度に対して、南米や東南アジア、インドの身を売らなければいけなかったり、誘拐監禁されてまさに性奴隷を強いられている女性たちは、日本、韓国の進歩的女性たちに、深い恨みと憎悪を感じないわけがないと思う。

 なぜなら、本当は、世界のイメージで、日本の男性が、現在ただいま、世界中の悲惨な運命にある子ども、女性を攻撃する元凶とは思っておらず、よほど、アメリカ、韓国、中国、北朝鮮、ドイツ、インドに疑惑の目を向けているのが、事実だからだ。地獄の思いをしている女性、血の涙を流している女性の真の敵から目をそらし続けているからである。彼ら最貧国の現在ただ今、血の涙をながしつづて居る女性から見れば、韓国と日本の従軍慰安婦運動家は、こぎれいで美しい衣服を着て、知的にふるまい、正義の側に立って、現在ただいまの南米・アフリカ、インド、北朝鮮、中国などの人身売買されている人々に関与しようともしない偽善にまみれた女性たちにほかならない。

わたしは、いつも思う。韓国や日本で、従軍慰安婦に謝罪しろというその事に血道をあげる人などは、足元に及ばないほど、「ナゼそこに日本人」や「世界の果てに日本人」で紹介される人々は黙々と現在ただいまの貧困に身銭を切り、汗を流してささやかな手を差し伸べている点で、朝日新聞の人権派女性記者が足元に及ばない尊い人々だと思う。

大江健三郎をはじめとして、真実を直視して、反省をすることが、日本が再生する道だと、彼らはしばしば言う。しかし、「反省して立派になる」ことよりも、現在ただいまの最貧国の性被害者、国内の現在のDV被害者を、いま、ただちに救う事、明日も、明後日も救い続けることのほうが、はるかに重要ではないのか。日本人が「過去を反省して立派になることなど」現在の孤立無援で、死に行く人を救うことに比べるなら、日本人など、「立派になる必要などない」とさえ言えるのではないか。そう、忘れてならないのは、過去の過ちではなく、現在、苦しみ続ける人を支援し続けることなのだ。

わたしたちは、クマラスワミ的なる人物、すなわち、彼女のように、自国が現在ただいま、極めて女性が抑圧された現状であるにかかわらず、「過去の」日本の告発にかまけて、国際知識人になったつもりになるような女性」と決別するべきなのだ。

 そして、「積極的平和主義」ではなく、「積極的人権主義」とでも言った道筋を探って、貧困国の少女たちに、集中的に「教育自立」援助をするなどの道筋を探求し、実践するほうが、重要ではないだろうか。あるいは、中国、北朝鮮両国の(特に貧困層の)脱北者や中国からの亡命者の支援の道筋を探るべきではないか。

朝日やNHKが、そのような、最貧国の少女、少年たちの現状とわれわれ日本人の支援の道筋を指し示すことに、心血を注ぐのなら、わたしは、いつでも、朝日、NHKに拍手することを惜しまない。反省することが、日本人が立派になることだなどと、日本人が立派になることに執着して何の意味があろう。

このような観点から見ると、はじめて福島瑞穂が慰安婦のおばあさんたちを見つけた時、やるべきことは、韓国政府に対して、慰安婦の女性たちに対する韓国の政府保障をもっと手厚くしてあげるように、その困窮の実態を日本国民にしらせ、日本国民と韓国国民で、それこそ、市民運動として、韓国政府に陳情やら、国際的お願いをするべきではなかったか。だいいち、日本人に反省させて、それがいったい誰になんの意味があるのか。日本人が向上しても意味はあるまい。それよりも、韓国政府が、(仮に日本が責任を取らなくてもよし、韓国政府はあなたを見放さい、という方向にいくほうが、よほど韓国の道徳性が高まるにきまっているではないか。