神々の晩餐 27話 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

神々の晩餐 27話

この神々の晩餐が放送された同じ年、韓国では、「きらきら光る」「チャクペ」「 神々の晩餐」の三作が、そろって、貧乏人のこどもと金持ちのこどもが入れ替わってしまったという「取替え子」設定になっている。ついでに言うと、その翌年に作られた「馬医」までもが「取り替え子」で、これまた、貧乏人と金持ちのこどもの取替え子だ。そして、5年ほど前の「エデンの東」も、同じく、貧乏と金持ちの「取替え子」なので、韓国のドラマ作者が、いかに、この「取替え子」設定に執着しているか、わかる。また、今後もこのぱたーんはあるのかもしれない。

 「善徳女王」「大王の夢」でさえ、多少とも、完全な取替え子でではないが、金持ちの子が貧乏人のこどもとして育てられる設定がはいっているのだから、どれだけこの「取替え子」に、作者の側が執着していることか。

 しかし、それでも、この同じ「取替え子」を、それぞれの作者が、いかに、深い心情をこめるかに、脚本上の技量が込められているとも言える。

 これら、取替え子諸作の中でも、この「神々の晩餐」のインジュの母親はすばらしい。

 日本の作家、山崎豊子の「二つの祖国」で、外相東郷茂徳は、「愛国心とは何か、と聞かれて、「わたしの妻は、自分の子が、よい子だから、愛するのであって、悪い子であれば、愛さない」と言った。「国も同じかもしれない」と東郷外相はいう。

 しかし、この韓国ドラマ「神々の晩餐」のインジュの母親は、自分が育てた「他人の子」が、「悪い子供」「悪いおとな」に育ったことを知った時、子供を攻めず、自分の育て方が悪かったのだ、という考え方をする。なぜならば、このインジュの母は、自分の心の弱さゆえに、本物のインジュが行方不明になった時、ヨンウという他所の貧乏人の子を自分の子として錯覚して育てたので、成りすました、悪い子に、全責任をおしつけるわけにいかないからだ。

 ここで、わたしたちは、人間が悪い人間に育つ時、全面的に本人の悪だけでその悪い性質ができあがったのではないというのが、事実だということを思い知る。そのことと、社会的な刑罰は別なのだ。

 だから、山崎豊子のあげた、善い子だから、善い国だから愛するというのは、平板なのである。

 インジュの母親は、かなきり声をあげることなく、静に、生きて、世間に恥をさらす恥辱に耐えて、二人の子供に償う、と決意する。


気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート