参院選挙で当選した山本太郎氏は、「電力は足りている」と主張している。
わたしは、足りているいないの問題ではないと思うが。
というのも、今後、石炭、ガス、原油需要が日本の消費によって、大幅に変動するのであり、富の少なく、かつ原発を管理できない各国は、石炭、ガス、原油を高く購入せざるを得ない面も出てくる。
この事自体は、反原発の理論的支柱ともいえる京都大学助教の小出裕明氏も、まさにこの問いに論壇史上で答えて、「その通り、だから日本は今後、現在よりも、30%エネルギー消費を削減しなければいけないのです。」と、こう答えているのであり、脚本家の倉本聡さんも、「日本は深夜労働などは、やめて、午後4時になったら、家に帰るといったように、価値転換すべきだ」と言っている。
「電力は足りている」というのは、「電力不足論」への反論にすぎないのであり、、再生可能エネルギーへの転換は、脱原発であるとともに、脱化石燃料消費であり、思慮ある人たちは、それがエネルギー消費抑制と込みの話である。
「電力は足りている」には、ふたつの要素に整理するべきだ。
原発がなくても、節電(あるいはほんの少しの節電)で、停電を回避できる。
(つまり、足りている。)
電力料金が各地で値上げされるのは、電力会社のもうけ主義が原因であり、本当は、値上げは必要としない。
(あるいは、値上げはやむをえない。生命尊重のためには、値上げを甘受しつつ、企業努力と個々の消費抑制をしようというもの。
以上の場合の、どの意味で「足りている」と言っているのか、をきちんと把握すべきなのだ。
また、再稼動にしても、新基準をクリアすれば、認めるのか、そうではなく、新基準自体が無意味であるというなら、新基準だ、活断層かそうでないか、でもめること自体が、社会的にムダなコストなのだ。
現在の活断層論は、要するに活断層でなければ、合格とするにやぶさかでない、というのではなく、デモがダメなら、活断層、というように、ただ廃止が選挙によって決定できそうにもないから、ありとあらゆる段階で食い止めようとしているだけに見える。だが、本来は、「基準自体が無意味。事故原因を究明することも無意味。なぜなら、常に、異なる予想しがたい原因で事故拡大が起これば、取り返しがつかないから」と言うのが、もっとも、誠実で率直な反対論なのである。
事実、宮台真司の場合は、「原発事故が、起きた場合にあまりにもコストが大きすぎる」という外国の学者の説を援用している。
朝日新聞、毎日新聞なども、いまだに「事故原因がわからないのに」というが、これも、「デモは民衆の声」が効き目がないなら、「活断層だから」・・・これが効き目がないなら、「事故原因がわからないのに」と次々にダメな理由を並べているということになる。
だが、要は、「原発事故が、起きた場合にあまりにもコストが大きすぎる」というのが、もっとも包括的で強力な反対論といえる。
私自身の考えをいえば、日本が完全な原発運営からの離脱を選択しても、日本が核を持たなくても、きわめて、多くの国々が核兵器を持っていると同じことが起きる。その場合、リアルに予想されることは、韓国が、はっきり言えば、本来の能力を超えて、韓国製の原発をダンピング販売する事態がはじまるだろう。
それは、商業的損失だというのではない。極めて、危険なことではないのか、ということだ。
1.韓国は現在の家電業界が日本の技術者を高待遇で雇用して、日本の家電大企業を抜き去ったように、原発もまた、日本の研究者を引き抜いて、韓国の原発技術水準を高め、やがては日本は原発事故の防御のノウハウも三流に転落することになる。
これは、松下電器やサンヨー、ソニー、シャープが危機に瀕して、その実、感国の家電メーカーの技術陣に日本人が多数いるのと同じ構図であり、脱原発後のアジアにおける原発事故の際は、中国、感国の技術者に日本は助けを請うことになろう。(日本人に弟子たち)
2.同じことは、中国にも言える。中国がフランス、韓国、あるいは、自前の原発でも、今後原発の設置によって、巨大な人口のエネルギー需要を支えようとすることは間違いない。その場合、いつでも、原発事故と黄砂や日本海の放射能汚染による影響は避けられまい。
そうした時、原発を維持しながら、他のエネルギーを開発するならば、放射能防御技術の向上も発展向上が望めるが。いったん完全離脱を選択すると、韓国、中国の動きにおいて、上のような、安全保障上、きわめて脆弱な状況が出現することになると思われる。
むしろ、反原発の人々には、「足りてる」とかそういうことではなく、この問題について考慮してもらいたい。