福島県在住の作家玄侑宗久げんゆうそうきゅうさんは、最近「除染1ミリシーベルト」の愚という評論文を発表した。
福島のかたがたが、放射線問題で医師の講演会で質問しているのを拝見すると、心配するほどの数値ではない、という医師の説明に対して、信じられない、という再質問があり、それに対して、医師は、「個別の場所でちがうかもしれないから、機器を早急に貸与してもらって、数値に応じて、かんがえましょう、ということになる。
わたしはいつも思っていたのだが、問題視しすぎると、風評になる(つまり、実際には食べたり、住んでもいいのに、ダメなように強調すると、県外から訪ねる人がいかなくなるし、戻ってもいいのに、いけないということがおきかねない。もちろん、だからと言って、安心だ、なんでもないとも、言い切れない。
が、筋道たてて、考えると、素人でも、ある結論を導くことができるのではないか。つまり、福島と他の地域と比べてみることだ。そんなに、いうほど、他と比べて汚染されているのか、ということ。ほんとうにさがあるならば、重大なことなのだし。比べてみないとはじまらない。(復興、子供の心のケアはまた別の課題、)
同じ様なことを、
福島県在住の作家玄侑宗久げんゆうそうきゅうさんはもっと、切実に考えたらしい。
奥さんといっしょに、全国のお寺に電話して、お願いして、全国の環境放射線量を測ったそうだ。
すると、その結果、全国に1ミリシーベルト以上の地域はいくらでもあるという。
イタリアの75パーセントの人々は、年間1.5ミリシーベルトから3ミリシーベルトの間で生活していることもわかったという。
つまり、政府が1ミリシーベルトを決めた時点で、はたして、もともと、事故がおきていない時点での、全国の環境放射線量の推移を知って、決めたのか、単に机上の理想論で決めて、なんと、全国に以前からいくらでもある1.5ミリを突破せんと紛糾したり、まだ汚染されているから福島のものは食べられないという疑いを醸成し続けるのは、異常ではないか、と思われる。
玄侑宗久げんゆうそうきゅう氏の主張では、福島が除染しなければならないなら、他にも、除染しなければいけない地域は全国に無数にあるという。
つまり、事故以前には、事故以外の要因でどの程度の数値で、普通に生活しえていたのかを再度確認してから、目標値をきめるべきなのだ。
心療内科やカウンセラーへの相談が後を絶たないことや悪夢にうなされたり、放射能汚染を苦に自殺したりする人が続いている状況を説明し、心のケアの必要性を強調した。(玄侑宗久さん)