原発の低線量放射線は危険か
先日、福島県の避難地域近辺住人の方々が、「低線量放射線は年間100ミリシーベルトまでは、さほど心配する必要はない。」「しかし、絶対大丈夫とはいいきれないし、また、個々別別の具体的な数値があるので、心配なかたは、ぜひ県に求めて、計測した上で、その数値が国の基準値を下回っているかどうかを確認することを優先してください。」とこういっていた。
質問者は、この学者に、「4歳のこどもと1歳のこどもがいて、4歳のこどもは、外でころげまわって遊んで、汚染された土を家のなかに、落とす。すると、一歳のこどもがハイハイして床をなめる。これでも、あぶなくないといえるのか、と食ってかかっていた。」
わたしは、この手の質問をする人は根本的にまちがっていると思う。
低線量放射線の評価は確定していないのだから、ほかのデータを材料に、「年間100ミリシーベルトでも、さほど心配する必要はなさそうだ。」という医師もいれば、「20ミリシーベルトでも心配だ」という医師がいても、当然だ。
これは、ガンの手術が命をちじめるという医師もいれば、早期発見が大事だという医師がいるのと同じだ。
ガンの手術が命をちじめるという医師が冷酷というわけではないように、放射線の影響を甘く評価したからといって、原発稼働賛成ということにはならない。
「わたしは心配なんだ」と言えば、「100ミリシーベルトまでは、さほど心配する必要はない。」と思う意見を撤回しなければならない理由もない。
いや、むしろ、「心配ない」という医師は誤用学者だと思う人は、低線量放射線は20ミリシーベルトでも危険だという説の医師なり、学者なりに、大いに質問するべきなのだ。あなたは、わたしたちが、福島で暮らしていることを危険だというんですよね」と。
「その通り、大変危険だ」とその学者は言うだろう。
「ここでそういう質問しているばあいではなくて、県外に引越しするべきなんですよ」
とでもいうのではないだろうか。
それが正しいのだろう。なにしろ、「心配ない」と言う医師は、御用学者、御用医師なのだから。
それなら、そういう御用学者の相手をするより、心配な人は、20ミリシーベルトでも危険だ。10年後に影響がでるという意見にしたがうしかないじゃないか。少なくとも、こどもが床をなめる、本当は危険なんだろう、本当のことを言ってくれ」と言っている場合ではあるまい。