龍の涙158話
龍の涙ってのは、「龍」とは、高麗王の「王」(ワンという姓名なんだ)氏のことだと思った。
なぜなら、ドラマの中で、高麗王の脇にうろこがあったから。
ところが、何話か話が進むと、イ・ソンゲの息子大宗の人相を見て、「龍」の相だという人物が登場する。
しかし、高麗は明と戦争するくらいの気概はあったが、李氏朝鮮は明に朝貢して、国名も、明に選んでもらったのだから、その国王が「龍」ということはないだろう、おおげさだなあ、と思ったが、一応、作者のつもりでは、朝鮮半島の王はみんな「龍」らしい。
本当は、龍というのは、今のベトナムあたりの古代民族の象徴らしいが、現代韓国では、単純にかっこよさげだから、「龍」のシンボルを拝借しているのではあるまいか。
ところで、太宗の後を継いだのは、世宗で、世宗は長男ではなかったことが知られているが、長男は、王になりたくなくて、故意に放蕩して、しまいに放蕩がエスカレートして、元高官の側室を、横からとりあげて、側室にしてしまうという狼藉を働いたことが、太宗のかんにん袋の緒を切って、世子の座を剥奪されてしまう。
たぶん、記録に残っているのは、放蕩の事実で、その動機が王になりたくなかったから、というのは、作者の創作だろうと思う。
ドラマの中では、本人の望み通り、自分は王にはならず、単に王族になり、王は弟がなる。
目的が達成されたのに、まだ長男のヤンニョンクンは放蕩を続ける。
史書に残る逸話では、ヤンニョンクンは高僧の幻を見る。
そこで高僧はこういう。
「あなたの望みは達せられた」
「また、あなたの父太宗の寿命も残り少ない」
「人生無常かくのごとし」
「いま、あなたの心が空虚であるなら、何かで心をみたすべきではありませんか?」
「旅に出ませんか」
と言ったという。
はっと気づくと、高僧は消えていたので、ヤンニョンテグンは旅に出たという。
これは、史書にそう書かれてあるなら、筆者は仏教に無知だったと思われる。
仏教というものは、旅に出ても解脱するものではない。
戒律を厳に守ることが、仏教における解脱のはじめなので、ヤンニョンクンの見た高僧のイメージは、ピントがずれている。