ハルモニの唄を読む 第3回 | 気になる映画とドラマノート

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ハルモニの唄を読む 第3回

川田文子さんの「ハルモニの唄を読む3回目は、岩波書店「世界」「ハルモニの唄」7回の

パク・スリョンさんというハルモニの語った、日本の戦後体験です。

スリョンハルモニの父親は、日本のいる在日の親族を頼って、借銭して、日本にきました。いつも、思いますが、このようにして、日本に来る人たちは大変大勢いたことがわかります。当時、日帝の横暴を憎んでいたが、しかたがなく、生きるために、がまんして、来ましたという人はいません。ただし、日本人である川田氏が解説するときは、朝鮮における日本人警察官はこども心に怖かった、と記述されます。ただし、事実は、一般の平の巡査は、圧倒的に朝鮮人自身でした。日本人だから、怖いのではなく、当時、どの国でも、警察官は多かれ少なかれ、威張る人も、いたのです。

 スリョンさんのおかあさんは、日本に来て、貧困の中、農家の井戸の水をもらい水したりしたそうです。日本の農家は、無碍に水を汲むな、と拒絶しなかったということになり
ます。

 スリョンさんの母は朝鮮人の夫にひどい暴力をふるわれて、「こんなことなら、こなければよかった」と言ったといいます。すりょんさんの思い出で、一番印象的なのは、日本社会のことではなく、生き地獄のような家庭の暴力の日々。もし、かりに、日本が生き難い社会でも、家族が助け合い、あいしあっていれば、生き地獄ではなかったでしょうに。

 小学校の日本人の先生は、スリョンさんに、卒業生の残した学用品をくれ、また日本人の大家さんは、娘の服をスリョンさんにくれたそうです。ここには、在日ハルモニの心に残る、民族差別しない日本人の堂々とした姿があります。そういう立派な、日本人もたしかにいたのです。

 軍国主義の日本の時代、貧乏のために、朝鮮からきた人に、ささやかな援助をしてともに生きていこうとする人々がいたことがわかります。

 スリョンさんは同じ在日の男性と結婚しました。ところが、これまた、殴る蹴る、博打にふけって生活費をいれない。非道卑劣な男でした。日本人の女をにひきいれて、ふすま一枚隔てて二人で寝たり・・・凍りつくような卑劣のふるまいをする人でした。

 スリョンさんはいいます。

「殴る、殴る、殴る。そして、髪の毛を巻いて、ひきずりまわす。」

どこが、「東方礼儀の国柄」なのでしょうか。現実には、いつも、ハルモニの話には、暴力と性的な放縦と人間の尊厳を踏みにじる行為が家庭に繰り広げられていたことがほとんど普遍的にみられます。(ごく例外をのぞいて。)韓国ドラマ「土地」では、両班が家の使用人の頭をを足でこずいていました。必ずしも誇張ではないのでは、と思わせます。

 「夫の愛人の子は、二人になった。愛人の子の赤ん坊を背負い、愛人の子の手をつないで歩くと、実の子はあとからついてきた。」

 こうした中、スリョンさんに、新たな苦難がおそいかかります。ハンセン病が発症したのです。

 日本の国立駿河療養所がスリョンさんをうけいれてくれた。

 担当医はスリョンさんに「泣き虫かあさん」(といってはげました)

 娘さんも、軽症だったことがわかった時、日本人の院長は、娘さんも、この療養所に入って、治療しながら、学校に通えばいいから、と言ってくれたそうです。

 著者の川田文子さんは、日本における在日朝鮮の人々の衛生状態、病気罹患率の高さをあげて、日本社会の苛酷さを強調しようとしますが、ハルモニの言葉そのものに耳をすませば、人は、心あるならば、そこに、朝鮮の貧しい女性とともに生きた日本人の先生、大家さん、医師たちと、不屈の魂で戦後日本を生きた在日のハルモニの姿を、そこに見ることでしょう。