傀儡王仁祖 1話 | 気になる映画とドラマノート

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1623年、朝鮮では、一代の天才ホ・ギュンと光海君の時代。
光海君は明国と満州の後金のいずれが、にわかに判断がつかぬため、中立政策をとっていた。

韓国公開の原題は、「南漢山城」カタカナで発音に近く表記すると、ナンカンサンソンということだ。


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史跡57号「南漢山城」ナンカンサンソンが原題になっている

「民族の念願である北伐の意図を探る」とナレーションでは言う。

このナレーション、本当だろうか。というのは、北伐が「民族の念願」だというなら、まるでいまでも、韓国人も北朝鮮人も、満州地方にあわよくば打って出たいといっているような風ではないか。

あまりにも、奇妙なナレーションだ。

しかも、この時代、念願もなにも、後金は後に清国となって、朝鮮は明国に続いて清国の属国になる。すなわち、清国に王族の認証をいちいち報告する義務を負うことになる。

それで、「北伐」というから奇妙だが、事実このドラマは「民族の念願である北伐」と言っている。

1623年、一代の天才ホ・ギュンと王「光海君」とそして、クーデターを起こして王位についた「仁祖」インジョの時代。

朝鮮はちょうどその時、明国が強国なのか、満州の後金が強国なのか、判断がつきかねていた。そして、秀吉から攻撃されて国は疲弊していたが、これを教訓として、後金に対して備えることも、怠っていた。これは、ドラマ自体はっきりとセリフで言っているので、わたしが朝鮮を侮蔑して言っているのではない。

そういえば、「正祖」の時代の「ペク・ドンス」にも、「北伐の計」というのが出てくる。

これはおかしな話ではないか。もともと、北というのは、清国の故郷なのだから、こう「北伐」にこだわる意味がわからない。「夜郎自大」とちがうのか?

ましてや、秀吉軍には一方的に責められている弱体状態で、「北伐」もないような気がするのだが、まったくわからない。

ところで、この作品の字幕作家も、また「王大妃」ワンテビを「皇大妃」と表現している。まったく意味不明の誤訳だ。なぜ素直に「王大妃」と表記しないのか、まったく理解に苦しむ。


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