見るな、純真なふり。目をえぐらねばわからぬのかー。
わたしを殺すことで痛みを忘れるならば、喜んで命をささげます。
わたしを殺してどうか悪夢からさめてください。
こりゃもう、紙一重でSMの世界にふみ込むようなものすごい関係になってきた。
谷崎の春琴抄にもちょっと似た倒錯的な、愛憎の世界だ。
これだと、アメリカの西武劇に翻案可能なストーリーだなと思えるような展開になってきましたぞ。
李氏朝鮮時代をイメージする時、「宮」クンラブインパレスのような憧れの対象とする場合と、その対極に、「世祖(首陽大君)」の甥殺し弟殺しを「冷酷ゆえ」と見る見方がある。しかし、これをまともに、「冷酷」としてしまうと、ご先祖さまへの崇敬の念と民族的自尊心が崩壊してしまうので、「王と妃」も「ハン・ミョンフェ」も、世祖に大して同情的に描いているし、側近のハン・ミョンフェを朝鮮王朝の貢献者と描いたりする。
しかし、北朝鮮の社会主義からすると、「王制」というものは、人民抑圧の制度であるし、(と言っても現実には呉善花さんにいわせると、北朝鮮は李氏朝鮮と同じだそうだが)韓国の民主化運動、左翼系労働組合からは、李氏朝鮮は「ラブインパレス」なんてもんではなく、人民抑圧の時代とされている。
「王女の男」の世祖とハン・ミョンフェはまさに冷酷な権謀術数を旨とする人物として描かれている。
ただし、史実としての世祖は、仏教に帰依していたので、これほど悪人だったとは思えないし、また王様がこんなに悪人なら韓国人の民族的自尊心も持たないので、どうやら、この作者は左翼系の(前のノ・ムニョン大統領がそうであるように)思想の持ち主と思われる。