名家の娘ソヒ 21話 新たな出発 | 気になる映画とドラマノート

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 この名家の娘ソヒは、見ていてなんとも痛ましい思いになる。

 2004年の作品にもかかわらず、あまりにも稚拙な人間観がいたましい。

 イタリア映画ビットリオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」を見て、わたしたちはほとんど映画でだけ、ソ連とイタリアが戦争をしていたことを知るのだが、問題は、ビットリオ・デ・シーカ 監督は、国民性ソ連人とか、国民性としてのイタリア人という見方はしないのであって、つまり、イタリア人ならすべて悪、ソ連人ならすべて悪というふうには見ていない。もちろん、現代ではなく、「ひまわり」は戦争時代を描いている。

 

 しかし、韓国ドラマの場合、歴史ドラマでは、日本人ならばかならず、女であろうと男であろうと「底意地悪い性格」として登場する。これは、ドラマの意外性としても、人間観としてもあまりにも浅薄な結果になる。(かえって韓国人であっても、アメリカやイタリア、フランスの映画を観て、批評眼がついてくると、おかしいのじゃないかと疑問視されるはずだ)

 もし、韓国の歴史ドラマで立派な考えの日本人が出てくる場合のあることを知っている人があったら教えてほしいくらいだ。

※映画「青燕」はかなり例外だが、より大衆的なテレビドラマでは、日本人にも、有徳の人物がいたというようには、けっして描かれない。

 これは、ある意味痛ましいことだ。日本の敗戦までの歴史が軍国主義、帝国主義的侵略意識一色で彩られていたなんて、そんなバカなことはないのだから、結局、製作者とこのドラマを見る人は、ともすれば、ますます世界と人間を単純化してみることになる。そのことが痛ましい。

 朝鮮が清国から独立したのは、日清戦争あってのことだということ。日本が朝鮮に関与したことによって朝鮮の米の品種改良が行われたこと。朝鮮人は自ら両班身分差別を廃止しなかったが、日本が介入して、救われた人たちも多かった。従軍慰安婦の強制連行というものはなく、現地の売春業者の罪こそもっとも重いものだった・・・等々の私の考えは当然多くの韓国人の人々や日本の左翼の人々には承服できないだろうけれども、確かなのは、どんな立場にたっても、人間をある国民はすべて悪人とする描き方は浅薄だということ、これだけは揺るがない真実だということだ。

このドラマでは、明らかに日本人が孫文の辛亥革命により、清国が崩壊するそれより以前の時点で、すでに日本人は「世界征服まで戦争をやめない」という決意を持っていてもおかしくないように描かれている。批判は批判として、ウソはいけない。果たしてこれを見ている人は、テレビというある意味知的エリートがそれなりの信念をもって作った歴史ドラマだから、あながちウソでもない、と見るのだろうか。

 しかし、一方、日本のドラマは優秀かというと、日本はこの時代を描くことがそもそもタブーなのである。本気で日本が軍国主義だと思っている人が多いのでかなり無残に画かざるを得ないし、そうなると、いやそうではないという言論の自由があるものだから、論争になるのが恐くて、日本のテレビ局ではこの時代を画けない。そういう意味で、韓国は、「敗戦の前までの日本は全面的に悪」という点では九割の合意があることになる。

 ただ、このドラマで、「高句麗からのわれわれの領土を日本が清に渡した」と言っている部分は否定も肯定も、そういう考えを持つ韓国人がいること自体を知らなかったので、自分の勉強不足の点が自覚できた。


.toti.avi - 投稿者 kabutokouji