栄光のジェイン 3話 感想 | 気になる映画とドラマノート

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小学校の高学年から中学生くらいの頃、先生が大真面目にトンネルの落盤事故があったとか、そういう「怖い話」を聞くと、なぜか笑いがこみあげてきて、授業中に哄笑をこらえるのに難儀した。

 いまでも、感動して泣くような場面が見事だと、感心するあまり?ということなのか、哄笑がこみあげてくるが、この場合は授業中ではないので、おもいきり 声をあげて笑うことになる。なぜ、極度に怖い話でも、感動する場合でも、時に哄笑が起こるかというと、たぶん、いごこちの悪さ驚きと照れが一度にやってき て感情に整理がつかなくなるからだと思う。

 「栄光のジェイン」第3話はそれくらいおもしろい。といっても、コメディーではまったくないんだよね。完全に感動物語なのに、驚くべきキャラクターが次々にでくるのに、あぜんとして、びっくりし感情の整理がつかなくなるようなのだ。

 それにしても、いささか不思議なのは、「きらきら光る」の主人公の女性の恋人の母親は、普通の感覚からすると、驚いてしまうほど、意地が悪いのだが、こ の「栄光のジェイン」も、まったく同じように、「主人公の女性の恋人の母親が極端に意地悪」なのである。前者はMBC、後者はSBSだ。なぜ、韓国ドラマ は、同じ時期のドラマに同じ設定が現出するのか、まったく不可解だ。

 「きらきら光る」の恋人の母親は、金貸しをやっていて、主人公の女性の親の家の権利を担保にとって、嫌がらせをして、息子とのなかを引き裂く。

 「栄光のジェイン」では、雨の中、電車ももう無くなった時間に、「恋人の母」は、ジェインを嫌って、嫌がらせに、ジェインの飯台の前にあるご飯を横取りしてしまう。まあ、とにかく考えられない底意地の悪い行動をする。

 これが見ている側を唖然とさせて刺激的といえば刺激的なのである。考えてみると、日本のドラマには、「牡丹と薔薇」以外、こういう極端な場面はまずありえないといっていい。

 もうひとつ、この3話で気になるセリフがあった。教会のシスターが「道端の草や石にも存在する意味がある」という場面がある。

 これは間違いなく、この作者も見ていても、なんら不思議ではない、(アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ最高賞)イタリア映画「道」に同じセリフが出てくる。

 不思議なのは、これがこの映画「道」から援用したセリフなのか、それとも「道」の」このセリフが、「聖書」にある逸話から取ったのか、そこがどうにも私には浅学なためにわからないのである。作者に聞いてみたいくらい、ひっかかったセリフだ。


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