日頃、韓国ドラマってなんでこう、お金持ちと普通の立場が対で登場するパターンが多いのだろう、多すぎるほど多いのだろう、と思っていたら、「きらきら光る」30話では、この韓国ドラマ定番の、「お金持ちと庶民の対」が単にファッションにとどまらず、非常に重要な意味を持った場面ができあがった。
出生の時点で取り違えられて、一方(ジョンウォン)はお金持ちの家に育てられ、もう一方は本来金持ちの娘なのに、小さい焼肉屋(学生向けの食堂)の娘として育てられた。
真相を知った二人は、それぞれ、本来の産みの親の元へ行く。
ただここで、重要なのは、セレブ娘として育ったジョンウォンは、産みの母が緑内障を患っていて、失明の危険があることを知って、気遣うがゆえに、産みの母の元へ行くという思いがあるということだ。
そして、ジョンウォンの産みの母は、ジョンウォンが自分の眼病を気遣って来たことを知って、お金持ちの娘として生きるほうがしあわせになるのだから、と。ジョンウォンが元に家に帰るように、わざと意地悪い態度に出る。
ここで感動的なのは、ジョンウォンの産みの母がジョンウォンの育ての母に会って、「ジョンウォンが私のところに来たのは、あなたよりもわたしがダメな母親だからなの」というところだ。ここでセレブの母親はただ言葉を失う。
つまり、金持ちであることは、心情的な緊張感を失うということなのだ。これは、「シークレットガーデン」のセレブな母親の言動の緩みと主人公の緊張感のある反発心からもわかる。
韓国ドラマは金持ちへのあこがれゆえに、何度でも金持ちを登場させ、金持ちを登場させては空虚な様子を描く。