歴史ドラマ「ホ・ギュン朝鮮王朝を揺るがした男」は、いまでいえば東大法学部首席卒業、財務省トップ入省といったような、宣祖、光海君、二代の王の時代に存在した、朝鮮宮廷最大の革命家の物語。
日本なら豊臣秀吉末期から、家康の時代にあたる。
「あまりにも本物すぎた儒学教養」を身につけ、当時の朝鮮社会の民衆抑圧と身分差別の不当性を見抜いたホ・ギュンは体制の中心にいながら、自己の保身に甘んじることなく、国家の変革にまい進していく。
その結末は、もう一人の一代の個性的人物イ・イチョムという体制内保守派の総帥との暗闘についに敗れて、五体をばらばらに切り裂かれるという極刑に処されて、非業の死を遂げる。
ホ・ギュンの歴史的記憶は韓国人の頭からけっして消えることはないだろう。
日本であれば、坂本龍馬や三島由紀夫のように永遠に記憶に残る歴史人物だ。
また、ホ・ギュンの姉は、蘭雪軒という朝鮮史に残る女流漢詩人であり、ホ・ギュン自身も、「快刀ホンギルドン」の作者である。
ドラマ「ホ・ギュン」は、43話、44話あたりだけでも、観る価値のある非常に秀抜な盛り上がりをみせている。少なくとも多くの物語を見てきた私でも、これだけ見事なエピソードはめったに見たことはない。
史実として、当時の君主(光海君)は、前王(宣祖)の残した子ども(後妻の子ども)を流罪にして殺すのだが、光海君は奸臣イ・イチョムの権力拡張の一環としての、前の王の落胤を殺害すべし、という諫言を嫌がっていた。そもそも、光海君としては、イ・イチョムは使える重臣ではあっても、理想的な国作りにまい進しようという自身の善意にはまったく力にならない男だった。
作者はこの光海君が後に糾弾されて失脚する原因ともなる行為をホ・ギュンの説得によるものと解釈している。これが真実であってもなくても、この解釈が秀抜な緊張を生み出している。
光海君は心から、ホ・ギュンの洞察力、教養、高い倫理性を本物であるとして、信頼していた。ところが、ホ・ギュンの目からは、「光海君は前代の王、宣祖よりはだいぶまし」ではあるけれども「朝鮮のおかれた悲惨な現実を変革するには」決定的に決断に欠ける王だった。
ホ・ギュンはついに、王を放逐する宮廷革命を起こすことを決意して、ひそかに計画を進める。
それには、体制内保守派の総帥、イ・イチョムをだまして自分を信用させねばならない。
そこで、ホ・ギュンはイ・イチョムはいままでの非礼をわびるとして、イ・イチョムの傘下に入らせてもらいたい、と願い出る。
ここで、イ・イチョムもまた、ただ者ではなく、ホ・ギュンの急な心変わりを、自分をだます計略との場合と本当に変節した場合の両用と保留しながら、こちらも、受け入れたふりをする。そして、ホ・ギュンに、自分が殿下を説得しきれなかった、「前王の子ども」の殺害をホ・ギュンに説得させ、さらには、罪のない、「宣祖51歳に19歳で後妻にはいった大妃を流罪にする」という画策をホ・ギュンにさせる。
ホ・ギュンは本来なら絶対にしないはずの卑劣な所業を、革命という大業を為すために、犯していく。この過程が非常な皮肉と迫真性をもってせまってくる。まさに驚異的な脚本の手際だ。
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